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昨日の藤井九段のコメントを聞いて、感じたこと

昨日7月3日は、大変な土石流が起こってしまいました。

自然の圧倒的な力と人間の関係性のようなものを、ひしひしと感じさせられてしまいました。

そういう過酷な一日でしたが、同時に、若い人の活躍で勇気づけられた人も多かったと思います。

このnoteには、主に植物・自然のことを書かせて頂くことにしていますが、藤井聡太さんのニュースについてはスルーできませんでした。

昨日、藤井聡太さんの最年少の初防衛と9段昇段について、夜になって知人のメールで知りました。

で、ネットでニュースを見て、「最年少の初防衛とか昇段のことは考えずに(今回も)取り組んだ」というようなコメントを見ました。

で、この人らしい、と思いました。

最近、気になって藤井聡太さん関連の本を何冊か読んだところです。

すると、将棋に強くなる、その一点に集中、専念しきれている、その様子が伝わってきました。

将棋が強くなるために日々を生き、そして、対局にも向かう。

確かに、昇段とかそういう名誉的な結果は、後から勝手についてくるものではあります。

ですが、あれだけ多くの人に囲まれて、注目され、期待をかけられ、いろいろと騒がれれば心がざわつき、浮つくのが普通の人間と思います。

でも、そういうことは全くなく、淡々と、将棋に強くなることだけを目指して邁進している姿を、師匠の杉本八段は、そばでずっと見守ってこられたようです。

で、思ったこと。

自分がやりたいこと、こうあって欲しいと思うことが何かあったとき、どうしても、雑念というか、考えなくてもよいこと、考えても仕方のないことが頭をよぎり、心を占領したりします。

ですが、ひたすらに自分の目指すところに向かって行く、純度の高いエネルギーというのかパワーというのか、その威力です。

不要なものを取っ払ったときに残される、人間が潜在的にもつ可能性の大きさ、計り知れなさのようなものを、藤井聡太九段は見せてくれている気がします。

もう10代じゃないから、若くないから、才能が、などと言って諦めてていい?

偉業を人ごとだと思って、自分はこれまで通りに、どこか諦めたように過ごすのは、どうなのだろう?

彼の笑顔を見ていて、そう思いました。

若くなくても、今からだってピュアなエネルギー全開でやれば、もっと違う自分の姿や景色をみることができる? 

ささやかなことでいいので、チャレンジしたくなりますね。


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