02 我が家の改修設計

家を買うのと同時進行で、家の使い方の検討をはじめました。

僕たちは、筑波大学大学院の芸術専攻のなかにある建築デザイン領域というところを修了しています。いわゆる建築デザインの勉学を一通り終えており、住宅設計のスキルもある程度は持ち合わせています。なので、設計も自分たちで行いました。空き家を改修してなおそう。って方は、できれば専門家に見てもらうといいといいかなぁ、と思います。建築家も、結構面白がってくれる人多いです。実はそんなに高くなかったりもするんです。

さてさて、空き家の時に実測図を取らせてもらって、そこから模型を作って現状を把握し、ああでもない、こうでもない、と議論をしながら家の計画を立てました。

我が家で大切にしている設計のポイントは3つ。

・あったかい家にすること。風と熱の流れをデザインする。
・暮らしをひらく設えにすること
・住宅の記憶を大切にすること

あったかい家にすること。風と熱の流れをデザインする。
ここで重要なのが、「快適」の許容量。現代の住宅には、新省エネ基準というものがあり、高気密・高断熱が求められます。でも、それって、必要条件ではあるけど、絶対条件じゃないんじゃないかなぁ?ってのが、僕たちの考え。地域によって暮らし方は違うし、使う部屋数はライフスタイルで違う。だからこそ、要と不要を自らで考え判断してあげれば、全部が全部ハイスペックでなくてもいいんじゃないかな、って。快適には、「積極的」な、気持ち良いと思う快適性と、「消極的」な、不快でないという二つの視点があります。本来、どちらが正しいということはないので、僕らは、季節感を積極的に感じながら、過度に厳しい季節のみ不快でない環境を作ろうと考えました。
僕らの家がある塩尻市木曽平沢(標高917m)を見てみると、夏の日中で最高気温30度を超えるのは年に数日。夏の夜に暑くても、窓を開けて風が通れば、普通に寝れる。ひさしの大きな町家なので、夏の日射を遮ってくれるので、日中も屋根からの日射熱を断熱材で抑えて風の流れをデザインすれば、半袖短パンで仕事はできそう。季節の風とともに暮らすのって、気持ち良さそうだなぁ、と。
一方で、冬を見てみると、極寒。冬場は2ヶ月くらいマイナス10度を下回り、-20度になることも。でも実際、起きている時間を見てみると、-5度くらい。10月と3月で夜間の気温は5度以下といったところ。実は、わがやを買うまえに2年間、築100年以上の同じく木曽平沢の借家に暮らしていたんですが、なかなか厳しい季節でした。
そこで今回我々は、この夏と冬の快適性をデザインの基本にしようとしました。

まずは、夏。町家なので間口が狭く奥行きが深いです。使いずらそう、と思うかもしれませんが、実はこの町家という形式、いたってシンプルがゆえに風のデザインには効果的。間口(玄関)方向の短手の表と裏に窓を設けてプランニングに配慮すると、家の中を風がスススーっと流れる。僕らの家は、東に道路、西に道路と川が流れているため、川からの風を住宅に取り込んで、家の中を風が流れるようにできます。夕暮れ時には西の山から風が吹き降ろされるから、風の動きが時間や季節を教えてくれます。この流れの中に身を置くことは、結構幸せな時間です。

そして、冬。これは如何とも堪え難い。なので、がっつり断熱します。でも、断熱するのって、全部の部屋じゃなくていい。僕らの家の場合、家の中心部・約1/3だけ断熱して、それ以外の部分は、中と外との間の空間として考えることにしました。内外の環境にグラデーションをうむ感じ。がっつり断熱はリビングダイニングと寝室。各々の事務所空間は断熱なし。寒い時期はリビングダイニングに移動して仕事すればいいし、1階と2階で離れていればお互いにオンライン会議もできる。部屋の名前はここでの便宜上つけたけど、その名前を流動的にしてあげれば、小さな断熱でも十分暮らせる。そしてそれらを支える薪ストーブで、断熱空間を丁寧にあっためる。非断熱空間を使いたいときは、この薪ストーブの仕事量を高めれば、コートを脱いだくらいの服装で利用できる。

暮らしを開くデザインにすること。
核家族が家族形態の主流になる昭和後期以前、家は、多世代が利用するものでした。そして、家には多くの人が訪れました。外から容易に声をかけられ、周囲の人々とお茶をするのは当たり前でした。家の境界は弱く、家の中にも接客する空間が当たり前に設えられていました。そんな家づくりから、無駄を排除していった現代住宅では、他者を受け入れる空間がなくなり、気密性を高めるために境界が強くなりました。最小面積で最大の効果を求める家づくりの結果が、現代の都市や郊外を作っていると言えるでしょう。
一方、田舎の町家の、前庭がなく直接玄関が道に面している我が家では、面白いことに、家の中にピンポン(インターホン)があります。来客者はガラッと勝手に玄関を開け、こんにちはー、と声をかける。
家の領域に他者が入ってくるのが当たり前の地域なんです。
こんな生活文化を現代的に解釈して、他者が入り込む余地を大きめにデザインできないか、と考えています。
もう一つ。移住者と地元民の違いについても考えました。そこには、地域で関わる人のネットワークの圧倒的な違いがあります。その地でずっと暮らしていた人は、育った家のご近所さん、小中学校、先輩後輩、クラブや習い事、中学の部活、高校時代の遊び仲間、塾や予備校、お祭り、青年会、消防団、趣味の仲間、仕事上の関係、と、様々なネットワークが自然に身の回りに存在するわけです。でも、移住した我々が手にしているのはそのうちの数個。
だったら、移住した後に新しくネットワークを組んでいけないかな。と考えました。その媒介役として、家を使えないか、と考えたわけです。家を開くことでいくつかのネットワークを作り、それらが相互連関していけば、僕らなりのネットワークを作っていけるのではないか。
家は、住む場所であり、働く場所であり、開く場所。その行為で、暮らしの周りを面白くして行くことができないかと考えています。外に出てたら近所の子供が遊びに寄ってきてくれて、庭仕事をしていたらいろんな人に声をかけられるし、フードドライヤーを作ったらあれ何?って聞かれる。窓を開けて改修作業をしていたら、知り合いが楽しそうに窓から声をかけてくれる。そんな些細な会話ができるのは、家の暮らし方を閉じないで外に開く結果生まれる。
僕らの家の中は他者にも貸せるし来客対応もできる空間と、小さなキッチンとお店、客室を設ける設計にします。そして、窓を開けたり、暮らしの風景を外に見えるようなライフスタイルを考えていこうと。

住宅の記憶を大切にすること。
最後に、先人の暮らしの履歴を大切にするのも、伝統的建造物群保存地区の特定物件としての作法だと考えています。そもそも僕らの家は、漆工町に建った専用住宅です。漆産業の隆興に伴いまちが大きくなり、専用住宅でも嗜好を凝らした表現が見られる例として、一部が特定物件とされています。なので、主要構造体を維持すれば内部の改修が自由、とはいっても、いかにして特定物件部分の専用住宅としての佇まいを継承するかを考えました。そこで、間取りを変えつつもかつての間取りがわかるように、嗜好を凝らした天井部分は残すことにしました。そして、剥がした部材はなんらかの形で再利用する方針にしています。それは木材はもちろん、土壁も。敷地内で、素材に新たな命を与え、時代に即した暮らしのあり方に変えていこうと思っています。

とまぁ、色々書きましたが、我々が目指した所のお話でした。

家を取り巻く物語。

きっとそれが暮らしを豊かにするんじゃないかな、なんて。

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