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バンドと、落合陽一研と、アート集団をやめた俺にしかわからないこと。

・この記事は、mast Advent Calendar 2018 の2日目の記事です。
・1日目は都築 陵佑先輩の『「21歳の夢」とともに振り返る都築陵佑の2018年』でした。



こんにちは、mastAdventCalender 2日目を務めます、Kish.です。

Advent Calenderって何?

って人のために簡単に説明すると、12/1からクリスマスまで、日付が書いてある箱の中にお菓子が入っていて、毎日ひとつずつ開けていくみたいなカレンダーのこと(たぶん)。

写真で見てもらうのが早いかな。

(25日はあったりなかったりするみたい)


それにちなんで、クリスマスまでブログみたいな記事をリレー形式で書いていこうってイベントにもAdvent calenderと名付けられた、と。

で、そのAdvent calender をmast(僕が所属する情報メディア創成学類)のひとで回していくのがmastAdcです。(せつめいおわり!)



ここからは真剣にたくさん書いちゃうと思うので覚悟して読んでください。
だるくなったら離脱していいからね!長すぎた!


苦しみの1年

僕は今年の夏休みが終わり、やっと苦しみの1年を抜け出したと思っています。

まず、僕の大学生活の略歴(ネガティブ版)

2017年
4月 入学
   バンド「蒼生世界」結成
   サークル「TOJO K-ON」加入
5月 落合陽一研究室「Digital Nature Group」所属
10月 論文を書くのに時間がなく、授業に出なくなる。
   ここから授業に出る義務感を失い、休みがちに
11月  「蒼生世界」解散
12月  「Digital Nature Group」脱退

2018年
1月 音楽×異分野作品制作集団「WORLDs of WORLDs.」立ち上げ
4月 「WORLDs of WORLDs.」実質解散
5月 「TOJO K-ON」で幽霊部員だったが、完全に行くのを辞める
~7月 なかなか授業に出れなくなる。春ABでの取得単位数0
10月 大学に復帰

とこんな感じです。
複数の「解散・脱退」を経て自分の実力・協調性・体力・精神力のなさを突き付けられた昨年9月~今年9月の1年間を苦しみの1年と位置付け、僕なりの失敗と教訓を綴っていこうと思います。
この過去に区切りをつける意味でも書くので、個人的で冗長・読みにくくなってしまうかも知れませんが、ご了承ください。

時は「蒼生世界」解散前。



「蒼生世界」


4ピースバンド「蒼生世界」のメンバーは、全員mast17生でした。
男3人が経験者で、女1人が初心者でした。

(音がよくなくて恥ずかしいけどCDも作ったりしていた↓)


解散のきっかけ自体は、その女1人が、演奏者ではなくマネージャー的な活動をする方がいいという考えをもったことでした。
始めは、代わりのメンバーを探そう、なんなら2人増やそう、なんて話もしていたのですが、当時僕は残りの2人が軽音サークルの方を重要視し始めていたことに違和感を覚えていました。

「今思えば」軽音サークルに打ち込むことで実力もつき、音楽的なことを聞ける人もたくさんいる。自分たちの作った曲を最初に披露する場にもなり、応援してくれる先輩方もいた。別によかったんじゃないかとも思います。

しかし当時、僕は大学の軽音サークルというものをある種拒絶していました。

高校の軽音部はコピー主体ではあれど基本的には同じバンドで続けていくものだったのに対し、
大学は1か月ごとに、コピーしたいアーティストに合わせてメンバーを組み替える仕組みで、大きく異なっていました。


高校生の時自分のバンドで曲を作って演奏していた僕にとって、「コピーしかやらず1か月で組み換え」の軽音サークルはただのモノマネ大会にしか思えなかった。
こんなの全然面白くない、他人の作った曲でドヤ顔してる人たちの演奏なんか興味ない。正直そう思っていました。

そういう強い思い込みがあり、入学からずっと一緒にいたメンバーがサークルに流れていくのをも、僕は過剰に嫌がってしまっていたんだと思います。

かといって、自分も大して曲を書くわけでもなく、歌もそれなり、ギターもそれなり。意識だけが高い状態で、人間関係や形式ばかり気にしていました。
ひたすらメンバーと向かい合って曲を作る、それをしなければ何をしようともバンドにはならないのに、そこが抜けていた。
他人とトライ&エラーをすることがとても苦手でした。

そして、バンドは解散となりました。
人間関係がもう少しライトな、参加したいとき参加するような制作活動ができる団体の方が余計な心配をせずに済む。と思い、次の団体を立ち上げることにしたのです。


また、同時期、落合陽一先生の研究室にも所属していました。



「Digital Nature Group」

基本的に「すげぇ」と思うと憧れてしまう性質の僕は、やっぱり落合先生にも「すげぇ」となってしまいました。(今もだけど)

きっかけは、受験生の時、早稲田大学の基幹理工学部・表現工学科のオープンキャンパスに行った時。
音楽好きで、そこに理工系の力もつければまぁ音楽で食っていけなくても好きなことがやれるんじゃないか、というのが僕の目論見でした。

メディアアートっぽいことをやっていたその学科の教授の方とお話したとき、衝撃的なことを言われました。早稲田は学費が高く都会もしんどいと伝えると、

「なら筑波大学の落合陽一先生のとこ行ってみれば?」

早稲田大学の教授に言われたんです。



「他の大学の先生に勧められるって相当すごい人なんだろうな、若いのにカリスマ性がある。え、ドラクエ好きで音楽好き、俺と一緒や!」と思いました笑
国立で考えていたので千葉大学・横浜国立大学・筑波大学を見ようと思っていた矢先、筑波の情報メディア創成の見学をしてみることにしました。

(そして間違えて情報科学類のオープンキャンパスに行き、次のチャンス・雙峰祭へ…)

雙峰祭では落合先生の講演があったのですぐに申し込みました。
行ってみると、学生よりもおじさんが多かった。落合さんも笑っていて、
「え、みなさんは何つながりでいらっしゃいましたか?大学入る予定のおじさん方ですか?」なんて言っていました笑

どうやら子供にくっついて雙峰祭にきた父兄が、落合信彦さんの息子だと知って、集まってきた様子だったのですが、そのなかにもちょいちょい学生はいました。


落合先生は「メディアアートを考えよう」というタイトルでメディアアートの概念や歴史を解説してくれました。高校生だった僕にとってはとてもタイミングのいい内容で、中でもマルセル・デュシャンの「泉」という作品(男性用小便器を横倒ししてサインしただけの作品)の説明を聞いて「げいじゅつってむつかしくおもしろいなぁ」と新しい世界をのぞいた気持ちになりました。

講演が終わると、真っ黒な彼はなぜかスーツケースを引いて、いつもの早歩きでスタスタと歩き去って行きました。すこし話しかけてみようかと思っていた僕でしたが追いかける勇気は持ち合わせていませんでした。悔しいのでその日から僕も早歩きになりました。嘘です。

そんなこんなで前期試験は落ち、後期リベンジでギリギリメディア創成に入学。
3年生になったら研究室は落合さんのところに行けたらいいな、競争厳しいだろうな、なんて思っていたら、筑波大は1年生から研究室に入って研究が出来るAREというシステムがあることを知り、DNGに入ることにしました。無理はあったけど、とにかく挑戦したい、それが大学1年生ってもんじゃん?

研究って何するの?と思いながらも「音楽メディアをアップデートする」をテーマに据え、AREを通し、正式にDNGに加入することが出来ました。

しかし、その後何をしていいかさっぱりわかりませんでした。周りに質問しても、返答の意味がわからない。ググり方もわからない。これ読むといいよ、と言われても何が書いてあるのかわからない…研究室の同期が面白そうに話していることも僕には専門的過ぎてわからない。どんどん食いついていくしかなかったのかもしれませんが、そんな気力が奪われるほど右も左もわからない。
わからなすぎて、なにを聞くにも不安になってしまい、研究室の人たちが怖くなってしまいました。毎週のミーティングやゼミも、顔を出したら「何も進んでない、何も勉強してない」と思われるのが辛くて行かなくなっていきました。そしてもっとわからなくなる、負のスパイラル。その悪循環の中で押しつぶされそうになり、最後の手に出ました。

「顔を出すまではつらいけど、出してみたらまぁなんとかなる…」
と思っていた僕は、じゃあ研究室にずっといればいいじゃんと思いました。
もはや話す機会もない落合先生に、「よく見たら君は弊ラボの貴島君じゃないか!」と言われながら、「研究室に暮らしてもいいですか?」と聞くと「え、いいよ~」と二つ返事をもらい研究室にベッドを設置しました。


「いままであんまり来なかった奴がいきなり住み始めた!」と研究室の人々にはいろんな印象を与えてしまったようなのですが、僕なりには自分の弱さを克服するにはこれしかない、必死の賭けでした。
大体の人は笑ってくれて、「まあ頑張ろうや!」って感じの反応をもらいました。


ただある先輩1人だけめっちゃ怒らせてしまい、毎日顔を合わせるたび「撤去しろ」「ふざけるな」「さっさとでていけ」と言われました。正直なところ「こいつさえいなければ…」と思っていたんですが、1週間言われ続けてやっぱり精神的に参ってきていました。
そんなとき彼に
「そこまでしないと出来ないんだったらお前がここで研究をやること自体が間違っている」
と言われたとき、「確かに…俺は何に固執してるんだ?やりたいことをやって生きたいのと、落合先生への憧れをごっちゃにしていないか?」
と考えるようになりました。ただもう、無理やりあの場に留まるのも辛かった。

研究室の人々の邪魔にならないよう、1人で真夜中にベッドを分解し撤去している時、人生でもそう無いくらいに涙が出てきました。何もできなかった自分がとても悔しかったのと、辛い環境から解放されたことへの脱力感からでした。

そして、2017年を以ってDNGを辞めました。



バンドもDNGも辞めたあと、僕と共にバンドをやっていた1人と新しい活動を始めます。



「WORLDs of WORLDs.」

音楽×異分野…音楽と何かを組み合わせて、面白いものを創ろう。
メンバーをプロジェクト毎に集めて、作品を制作する。

とても情報メディア創成らしい活動です。
最初にスタートしたのは友達のマジシャンと僕の音楽を組み合わせる作品。

どんどん人が集まっていって、協力してくれる人も増え、先生にカメラを借りたり、有難いことに撮影や動画編集を頑張ってくれたりする仲間もできていって、始めの頃は
「あぁ、俺がやりたかったのはこれだ」
と思えました。
(当時ちゃんとお礼が言えていただろうか…本当にうれしかった、ありがとうみんな。)
やってるみんなも生き生きとしてるし、少しずつクオリティも上がっていくはず…と。

しかし、数か月が経ち、だんだん運営の形や作品を発表すること自体に気を取られていきました。毎月1作品発表すると決めて、ひとつが終わったらまた次、と進んでいきました。

その中で、マジック作品の3作目。
「マジックの時に鳴る音」で音楽が出来ていくという動画を作ろう、と決まりました。
しかしその作品はもはや「消化試合」のような立ち位置にありました。
月1つ作っておきたいし、NHKとかがやってそうな感じでいいじゃん、みたいな。
誰かが熱を持って「やりたい」と思えるものじゃなかった。
2作目までは、こうやりたいとか、これは面白い、と思ってやれていたのが、ここで目的と手段がすり替わってしまった。「少し面白いかも」程度で他人を巻き込んでモノづくりをしようとしちゃいけなかった。

マジックの音を録音して、僕が作曲を始めます。
元々曲を作るのが遅いタイプではあったのですが、このとき、本当に手が動かなかった。何時間も机に向かっても、やりたくない。締め切りに追われ、皆に迷惑がかかる、と思えば思うほどしんどくなり、結局作品を完成させられず、皆にも申し訳なく思いながら、うまく謝れたのかわからないまま制作中止にしてしまいました。

この後も、音楽×小説と題して書き上げてくれた小説に僕が音楽をつけるはずだったんですが、「これを読んで、相応しい音楽を作らないといけない」と思うほどに辛くなり、そのプロジェクトも頓挫させてしまいました。
しかも、代わりに自分じゃない作曲家に頼むこともしなかった。人に頼むことが昔から出来ず、また自分がやらなきゃという強い思い込みでもありました。
義務感を感じてしまうと何もできなくなるタイプなんだとわかりました。

そして僕が中心となってやっていたWORLDs of WORLDs.は、僕が止まると止まりました。そのまま、実質活動停止となり、誰もいなくなりました。それは僕を含めかもしれません。団体の世界観は愛せるので、まだ形式上は残っていますが。

こうして、コミュニティに属しては離れることを繰り返した僕は自分のことがよくわかりました。
実力も、協調性も、体力も、精神力も、本当に何もない。何も出来ない。
(うわぁ!書いてて辛くなってきた!ここまで読んでくれてる人いるんかな!)

「死にたい」ではなく、「生きてる意味がない」という絶望に襲われました。
何やってもダメ。誰かに好かれることもない。誰から連絡が来るでもない。人に頼ることも、どうやったらいいのかわからない。
ひたすら孤独の中にいました。授業も出るのが辛くて引きこもっていました。

「授業来ないで何やってるの?笑」と聞かれると、「作曲とか!」と答えていましたが、実際あまり作曲とかもせず、家のなかで毎日寝てました。というか、あまり思い出せません。多分、本当に何もしてなかったんだと思います。何をしても虚しいから。

世界が白黒という感じでした。哀・憂・虚・愁といった漢字で表されるような静かな絶望に心が満たされていた。今になって思えば、あそこで僕は一度心が死んだんだと思います笑


そして復活へ…

そうしてとても長く休みました。引きこもって生活していて、横になってネット見てた時間が長かったせいか、筋肉が落ちた実感すらありました。運動すると鬱な気持ちも晴れるし…とジムの会員にもなりました。

大学の授業には行きませんでしたが、大学の中のクリラボ(メディア創成が使える部屋)でギターを弾いたりちょっとプログラミングでゲームをつくったり、「雑談10分」という名前でLive配信するようになったりしました。先輩からStartup Weekendという起業案プレゼン大会みたいなのに呼ばれてプレゼンし、唯一僕らのチームは賞金を獲得しました。
この辺は義務感なく、やりたいと思ったことをやってみる状態でした。
自分が達成できそうか慎重に参加する。吟味しながらしっかり終わらせる。

そうやって分かってきたこと。
しんどい時とかには今も忘れてしまうこともあるんですが、
人生がゲームになってきたのはこの時期です。
別に自分に意味とか価値とかないしクソ、でも生きていくならば、辛いことすらゲームだと思って楽しんでいよう、と思えるようになりました。ちょっとずつね。

するとだんだん、少しずつですが自分の中で、「…このアイデアだったら人を巻き込んでも完成まで熱量がもつな」とか「これはすぐに飽きそうだからまず一人で手を付けてみよう」とか、自分のモチベーションを測れるようになってきました。

結局すべての失敗を前向きに捉えられる日が来るんだということも分かりました。だったら、どんどん挑戦して早いとこ失敗していくのがいい。ゲームとして。

そう思って行動するようになっていくと、とても分かりやすく出会いが生まれていきました。
落合さんの本やSHOWROOMの前田さんの本が好きで、編集者の箕輪厚介さんが担当しているのですが、Startup Weekendの時に一緒になった人がつくばに箕輪さんを呼ぶというのです。僕も講演会に足を運びました
講演会の質問タイムで質問をすると、講演会の後に僕に目をつけて声をかけてくれた筑波大体育の3年生がいました。
彼は起業志向や意識高めの学生を集めてなにか面白いことをしたい、とのことで僕も話に乗りました。するとそのコミュニティで新たな出会いがあり…と連鎖が起こるように人と出会い、相性のあう、信頼できる、好きだといえる人たちも増えて行きました。

そうして今は、Webサービスを作りながら、自分の気持ちを曲にしつつ、自己分析的に本を書く仲間を集めたりしています。もちろん、まだまだ色んなことをやりたい。

世界が色づいて、彩度が高くなってきました。
単純に、人生が面白くなってきた。

これは、一度白黒の世界を味わった僕だからこそわかる感覚だと思います。
蒼生世界がうまくいかなかったこと。
DNGについていけなかったこと。
WoWs.が止まってしまったこと。
自分自身辛かったし、迷惑もかけたけれど、今の自分を支える経験になっているのは…間違いない、と言える自分を許せる。

時々忘れてしまうこともあるけど、それでも過去に考えていたことや思いは、「雑談10分」やTwitterに記録として残っていて、迷ったときは立ち返ることもできる。
そういう意味でもインターネットは偉いなぁなんて思ったりする。


上手くいかないこともまだまだ多いけど、人生はゲームですから。
自分が凡人だと自覚してるから、レベル上げ自体が楽しいわけで。

僕はいま、
思いついたものを形にしていくことを繰り返すだけの日々を送っています。


ちょっと意識高くて鬱陶しいかもしれないけれど、迷惑はかけないし、まぁこんなのでも何かの役に立つこともあるでしょう笑
温かく見守っていただければと思います。


…という訳でめちゃくちゃ長くなってしまいすいませんでした。
うわ、7500字とかある…本当にすいませんでした。
「もうmastAdCは読みたくない!」となっている人がいないか心配です。ほかの人はもっと読みやすいと思うからどうかめげないで…。


でも、ここまで読んでくださった人がいたら、ぜひ教えてください。
それは僕にとってすごく嬉しく、あの過去が報われたような気持ちになることなので。


読んでいただきありがとうございました。

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筑波大学情報メディア創成学類3年 noteは本にする内容用に書いてます!

コメント4件

めっちゃ良い文章でした!これは泣く!ww

よかったら僕も「本を書く仲間」に混ぜてくれませんか?編集者としてでもいいですし、著者でも嬉しいです!ちなみに編集に関しては、海外移住者の方達と海外生活の記事をまとめた雑誌をnoteで過去に販売していました!

正体がわかりやすいようにtwitterも貼っておきます🙇‍♂️
https://twitter.com/kruchoro

心理クリエイターなぞやっております😊
読みました。
長い長いと書いてあったのですが、とてもすっと入ってくる文章で長いと感じずに読むことができました。
もっと過去のお話しが聞いてみたくなりましたし、未来も広がるんだろうなと。
この文に出会えて今日を充実したものにできた気がします。そして充実したものにします。
ありがとうございます。
千沙さん
コメントありがとうございます。
多くの感想をいただいた中でも特に嬉しいです。ただ僕の過去を羅列し失敗を美化したものでしたが、誰かの心に触れて、何か残せることがこんなに嬉しいと知らなかったです。教えてくださって僕も感謝の気持ちでいっぱいです。
過去や未来のことはこれからもnoteに綴っていく予定ですのでよかったら見てみてください。ありがとうございます。
ちょっぺーさんはTwitterの方でご連絡します!
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