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メディアアート制作 「Shingi」

こんにちは、夏休みも2日目となったKish.です。
暑いですが、寒いよりは生命力が湧く感じがして、ここ数年は夏が好きになってきています。

さて、僕は今、自分の作品を展示している傍で、このnoteを書いています。
個人的なnoteを書くのは、半年以上ぶり。

今回、大学の授業での作品制作を通して、自分なりに思考したことや想いを言語化して記録しておこうと思います。

公開するという意味では、僕がいる横で展示を見て頂くのが一番いいのでしょうが、僕は同じことを繰り返し説明するのが苦手、かつあまり好きではないので、こうして一度言葉に固めておきたいのです。


今回の作品に使われたクズの葉たち。



「本物の様な偽物」と「偽物の様な本物」

僕は、自分の中に得も言われぬ「偽」を感じることがあります。
昔からずっと抱え続けている様な感覚もあります。

何かが好き、という心や
何かをしたい、という気持ちの本質が、その対象とは別のところにある気もする。


自分に対してだけではなく、他人や外界に関しても、そういったことを考える様になってきました。
「この人はこう言っているけど、本心はあっちなんじゃないか?」と。
人によってはそういうことを考えること自体、当たり前の様ですが。
僕の身近な人でそうやって人格を見抜く能力が高い人がいるから、その影響を受けているのでしょう。

これまでの僕は、他人の「言葉」だけを見てきました。言葉の裏、含みを察したりはしない。
相手が「嬉しい」と言えば嬉しいのだろう、「悲しい」と言えば悲しいのだろう、と。

もちろん、表情やトーンから全く察さないというわけではありません。ですが、言葉にだけある種の絶対性を付与してコミュニケーションをとっている節があるなと思います。


そんな自分に気づいて、僕はもっと、色々な特徴量を捉えて物事を観察して、本質を見抜く力を養わなければならないな、という気になったのです。
これは、物事を体系立てる能力とも近いものだと思います。


そうしたら、世の中には沢山の「本物の様な偽物」「偽物の様な本物」が溢れていると気付きました。


ニュースと悪意

生命に存在を覆い隠されたブランコ。



今回の作品を創る少し前に、Twitterで、あるつぶやきが流れてきました(今はツイートは削除されました)。

(要約)
6月に、TVのニュース番組で、韓国の女の子が反日感情を述べている映像(日本語吹き替え)が流れた。しかし、後ろで小さく聞こえる、実際の韓国語を聞いてみると、むしろ日本をリスペクトする内容だった。悪質な行為だ。

これは極めて悪質な報道と言えます。「本物の様な偽物」だと思いました。

しかしその一方で、そのツイートへの批判がありました。

(要約)
確かにこの報道は実際に行われたものだが、6月と言っても3年前の6月のことだ。それをただ「6月」のみの表記にし、(国際情勢に敏感な時期に敢えて)最近の出来事の様に投稿するのは同様に悪質な行為だ。

ツイートもまた、「本物の様な偽物」だったのです。頭が痛くなる様でした。



その笑みの意味

人が僕に笑いかけてくれる時。また僕は考えます。

笑顔の意味を憂うベンチ。


満面の笑みで僕に話しかけてくれる人。
この人は僕にとって好意を向けてくれているな、味方だな、と思いますが、その一方で他の人が「あの人は絶対裏があると思う」と言います。言われてみれば…確かにそうかもしれない。僕は遊ばれていたのかもしれない。あの笑顔は「本物の様な偽物」だったのか?さぁ、どうだろう。


引きつった笑顔で僕に話しかけてくれる人。
この人はあまり僕と話したくないのかな、と思いますが、実は人と話すのが苦手で緊張しているのに、頑張って僕に話しかけてくれた人なのかもしれない。あるいは、単純にそういう顔の人なのかもしれない。この笑顔は「偽物の様な本物」なのか?さぁ、どうだろう。


作品制作期間の前後で実際にそういう経験に心を強く揺さぶられたために、より真偽へ意識が向いていました。今日も少し笑顔が怖い様な気がします。とはいえ、その恐怖も風化して、一週間もすればなくなるのでしょう。



真偽を、審議する

ニュースや映画だけではありません。
今回の授業で、学生が自分の好きなものを深掘りして、落合さんに発表する、という回がありました。
僕は、「自分は植物が好きだから、植物を扱った作品を作りたい」と考えていました。


落合さんには、「あまり植物が好きそうには見えない」と言われました。
その辺の人に言われる分には「あ、そう?」で済ませられるのですが、落合さんの観察眼の鋭さを考えるとドキッとしてしまったのです。


僕には、二つの気持ちが生まれていました。


「落合さんに何を言われようと俺は植物が好きなんだ」
「確かに、所謂植物好きの人に比べたら大して好きではないかもしれない」


僕は自分の「植物が好きな気持ち」の真偽を審議する作品を創ることにしました。



手と服を絵の具でベトベトにしながら、僕は買ってきたドラセナに赤と青と、その他の色を塗り込んでいきます。


真っ白なTシャツとズボンを汚しながら、無邪気に、葉の気孔を塞いで呼吸を止め、葉緑体を覆って光合成を止めていく。植物を愛する人ならこんなことは出来ないのだろうか。そんなことを考え、小さな擦り傷のごとき罪悪感を感じつつ、ただ美しい色彩・造形が、頭の中のイメージと目の前の現実とで擦り合わされながら1つの完成に向かっていく時間を楽しんでいました。

(あとで客観的に自分を見られる様に、あと展示会に興味を持ってもらえる様に、映像に残しました)





そして、作品は完成しました。






Shingi



作品の解説とは、野暮なものなのでしょうか。
僕は昔から、込めた意味や想いをなるべく多く伝えたい、と思います。
自由に意味を考えてほしい、解釈に正解はない、という考えもわかるし、そのスタンスを取ることもあるけれど、今回の作品は非常に個人的なものであり、僕が僕のために作ったもの。人の心を揺らすことがアートの意義の一つだと思っていますが、この作品を通して最も揺れたのは、創った僕自身の心です。僕という前提を踏まえた上で、見た人が何か考えてくれたらいいという様なものだから、今回は解説をしておきます。





Shingi
Kish.

世の中に「本物の様な偽物」と、「偽物の様な本物」が溢れている。僕が植物を好きな気持ち。昨日のニュース。あの子の笑顔。誰かの呟き。大きな夢を追う人の目。丸い地球の裏の話。それらは本物なのか?偽物なのか?審議するための時間と空間を創りたかった。


この作品は、2つの樹の対比と、その根元に散る草、そしてそこにある時間と空間によって成り立っている。

緑色の葉が茂る左側の樹は、某所で投棄され、何年も放置されていた、造花。
赤青の葉が茂る右側の樹は、観葉植物として店で三千円で売られていた、生花。


言うなれば、野生の造花と、人口の生花だ。


床にばら撒かれた草も、生きた植物と造花が混ざっている。
手にとって観察してみないとわからないものもあれば、一目でわかる様なものもある。


傍らに置いてあるのは、水の入った如雨露。
水をかけてみると、造花はビニール傘の様に水を弾き、
僕が塗りたくった生花は、絵の具が落ちて本当の緑の葉を少しずつ現す。


ばら撒かれた造花は、いつまでもその形と色を保ったままそこに佇む。
ばら撒かれた生花は、展示会の最終日にはカラカラになって枯れる。


触れたり、ちぎったり、匂いを嗅いだり、水をかけたりといった行為を通して、本物なのか偽物なのか審議する。

その真偽は、ぱっと見ではわからない。こんな画面越しでは、わからない。

植物たちが置かれた時間と空間を含んで、「Shingi」という作品なのだと思う。


僕たちは、自らのもちうるあらゆる感覚や、与えられる情報をもとに、対象を見つめなければならない。そして、何を本物とし、偽物とするのか、最後は完全な主観によって決定しなければならない。




わたしの目の前にあるこれは、本物なのか、偽物なのか。



あなたの心の中にあるそれは、偽物ですか、本物ですか。







作品の講評後、先生と一枚(かつて一応でもラボにいたくせに、はしゃいでいる自分が恥ずかしいが、やっぱり嬉しかった)。

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ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
ご意見・ご感想などありましたらコメント欄か、下記Twitterまで。


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筑波大学情報メディア創成学類3年 noteは本にする内容用に書いてます!

コメント2件

ツイッターで作品を拝見したときは表面だけ見て「発想が面白い!」と食いついてしまいましたが、こちらのnoteを拝読して作品の背景にこのような思いがあったことを知り、ますます素敵な作品だと感じました。この文章に綴られているKish.さんの想いが作品に見事に込められているなぁ…と感動いたしました。これからも作品等、勝手に楽しみにしております…
コメントありがとうございます!!Twitterのnonakさんですよね!

そういっていただけて本当に嬉しいです。
正直、書いたはいいものの、自己満足すぎるかなと思っていたので…
頂いたコメントだけで公開してよかったなぁと思えました!ありがとうございます^-^
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