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6年「ぼくだって」【相互理解】の指導案はこうする!

こんにちは。
今日は『6年「ぼくだって」【相互理解】の指導案はこうする!』
このテーマで教材解説をします。

相互理解とは、文字通り互いに理解すること。
理想の関係ですが、なかなか難しいですよね~。

親友やカップルという近い存在、
ましてや夫婦でさえ、
互いに相手のことを完璧に理解している!
と言える人は少ないのではないでしょうか。

そもそも、相手を理解するって
どんな状態でしょうか?
相手を理解するには、
自分にはどんな心があればいいのでしょうか?

今日の記事で考えていきましょう!

では、解説です!

1 教材について
2 内容項目と教材
3 導入
4 発問
5 まとめ
順番に解説します。

1 教材について

B 主として人との関わりに関すること
「相互理解、寛容」
5・6年の目標・・・・自分の考えや意見を相手に伝えるとともに、謙虚な心をもち、広い心で自分と異なる意見や立場を尊重すること。

6年生「ぼくだって」(日本文教出版)

 あらすじ

ぼく、リョウタ、ヒサシたちのサッカーチームは全国大会をかけた最後の試合に臨んでいた。
リョウタはこの試合を最後に別チームに移る。

試合終盤、ヒサシのミスでチームは負けてしまった。
ロッカールームで「ぼく」はヒサシを責める。
ヒサシは「ぼくだって・・・ぼくだって・・・」と言って出て行った。

リョウタは「ヒサシはヒサシなりに必死だったんだ。うまく助けられなかったぼくにも負けた原因はある。」と言った。

次の練習日、「ぼく」は練習でミスを連発した。ミスを取り返そうと焦ってもうまくいかない。
「ヒサシも同じ気持ちだったんだ。」
ヒサシの気持ちに気付いた「ぼく」は、ヒサシに謝りに行く。

次の練習日、「ぼく」とヒサシは張り切ってボールを追いかけていた。

2 内容項目と教材

ぼくはヒサシに対して次の流れで接しています。

 ①頑張っているのに結果がでなかった。(経験)
 ②ヒサシも頑張っていたことに気付く。(発見)
 ③ヒサシも同じ思いだったと理解する。(理解)
 ④ヒサシに謝る。(謝罪)
経験→発見→理解→謝罪の流れを当たり前のように踏んでいますが、実際はこの流れのとおり行動することは難しいです。

自分が人と同じような経験をして、相手も同じだったんだと気付いても(発見)、「自分の方が大変なんだ。」「あいつは○○をしたからなあ。」となにかしら理由をつけて、理解をしようとしないこともあるのではないでしょうか。

また、理解はしたとしても、謝罪の段階までいくことは少ないように思います。

ここに、教材を流して読む授業の危険性があります。
ただ物語の流れを追うだけでは、『「ぼく」のような行動がすばらしいからマネしよう。』という結論になってしまうからです。

実際は、自分の状況や相手の考えはちがうし、いつもどんな状況でも「ぼく」のような行動が正しいわけではありません。

では、授業ではどの部分を核にしていけばよいのでしょうか。

それは、目標にもある「謙虚な心」です。
謙虚とは、意味は次のとおりです。

自分を偉いものと思わず、すなおに他に学ぶ気持があること。
「ぼく」は、初めはヒサシのミスを責めて、自分は悪くないと思っていましたが、自分が同じ経験をすることによって、ヒサシに思いを馳せます。

また、リョウタの言葉も、胸に響いています。

「そうは言っても、ミスをしたヒサシが悪い。」と思い続けることも可能なのに、「ぼく」はそうではありませんでした。

自分がミスをすることによって、視野が広がり、ヒサシも同じ思いだったことに気付けたのです。
この「気付く」が実は難しいのです。
相手のことを思っていなければ、理解しようとする気持ちがなければ、この気付きですら逃してしまいます。

「ぼく」はヒサシのことを責めながらも、大切なチームメートだと心の奥底ではいつも思っていたのです。

また、「ぼく」は決して自分の実力をひけらかさず、ヒサシに歩み寄っています。
この思いを巡らせる幅の広さが、「ぼく」から学ぶべきところなのです。

相互理解のためには、いろいろなポイントがありますが、「ぼくだって」から言えることは以下のとおりです。

 相手を大切に思うこと。
 相手に関心をもつこと。
 「~かもしれない」と考えること。
 そして、気付いたら言葉にすることです。

このあたりがまとめになると、いい授業になりそうですね!

3 導入

T:教師 C:子ども

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