芋嫌いの祖父はカレーを食べて泣いた。

僕と祖父の思い出をもっと読みたいと言ってくれた人がいたので、心の奥底に大事にしまってある記憶の中から、一つ紐解いて書こうと思う。

あれは中学三年生になる春だった。
僕は中国に帰省した。
年に一度の帰省だった。
けど、その帰省は僕の中では少し特別なものになった。


帰省して三日も経つともう、意識は日本へ帰るまでの日数に向き始める。カレンダーの中でも、帰国の日付だけが、占い師の水晶玉に映った像の様に引き延ばされて見える。
もの悲しくなる。
来年また会うまで祖父母は生きているのだろうか。

僕は幼い頃からずっと人の死や別ればかり気にしていた。
大嫌いだから。
別れは必ず来る。
だから、毎日を名残惜しく思って大事にしなきゃいけないと思っていた。

そうだ。
祖父母に何かご飯を作ってあげよう。
その頃の僕は料理にハマっていて、弟と一緒にご飯を作ることも多々あった。その習慣は今でもあって、実家に帰省すると弟と一緒に台所に立つ。

何が良いかと悩んだ挙句、カレーライスを作ることにした。
祖母の反応はいまいちだった。
「日本のミーハーな食べ物なんて。。。」
と言った様子だった。
しかも、祖母はそもそも台所に自分以外の人を入れることを嫌う人だ。
幼い頃は分からなかったけれど、料理を本格的に初めてその気持ちが分かった。台所はただの作業場なんかじゃなくて、料理をする人からしたら聖域だ。フライパンや鍋の中にあるのは肉や野菜であると同時に、それは食べてもらう人への愛そのもの。台所は自分の心にも近いものがある。

それを母が柔らかく説得してくれた。
普段喧嘩ばかりだけど、この二人はやっぱり親子なんだなって少し感動した。

僕は手慣れた手つきで材料を切って、手際よくカレーを作った。
30分後には鍋の中にとろみのある美味しそうな茶褐色の液体が出来上がっていた。僕はその液体を、少し硬めに炊いたご飯の上にかけて人数分の昼食を用意した。その僕の後ろで、祖母が冷蔵庫からキムチを出そうとして母に窘められて面白くなさそうな顔をしていた。


家族一同食卓に集まった。
祖父がカレーを一口食べた。
少しの無言の後、祖父は咽び泣き始めた。

「孫の手作り料理なんて食べられる日が来るなんて夢にも思わなかった。
あんた(祖母)には悪いけども、これが今までで食べたご飯の中で一番美味しいよ。芋は嫌いだけど、芋が入っていてこんなにおいしい料理は初めてだ。」

祖父のこの言葉は今でも僕の中に住んでいる。

「え、おじいちゃん、ジャガイモ嫌いなの?おじいちゃんのジャガイモ炒めすごく美味しいし、大好きなんだけど。」

すると、涙声の祖母が言った。

「おじいちゃんは孤児でね、とても貧しい時代を生きてきたのよ。食べるものが芋しかなくてね。だから自然と芋の料理が上手になるのよ。お前がねだってジャガイモ炒め作っても、それをパクパク食べてるおじいちゃんを見たことある?」

と言われて僕はハッとした。
確かに、食いしん坊の祖父がジャガイモを頬張っている姿を見たことがない。

そっか、そんな大変な人生を乗り越えてきたから、祖父はこんなにも強い人なんだと自分の中で納得がいった。
そして、そんなすごい祖父が僕が作ったカレーを一番美味しいと褒めてくれた。

祖父は泣き笑いながらカレーを美味しそうに頬張っていた。
泣いて、笑って、食べて、噛んで、飲み込んで、水を飲んで、ティッシュで涙を拭いて、泣いて。。。
忙しそうだった。
僕はそんな祖父の姿を見てただ笑っていた。
それまでに感じたことのない温もりを心の中に感じた。
料理でこんなに人を幸せに出来るんだと感動した。

「そうだ、もっともっともっともっともっともっと料理を練習しよう。」

ああだめだ、涙が出てきた。
粒立った涙が落ちて机に完璧に近い円を作る。
もう会えないのは分かっているけど、
やっぱり祖父に会いたい。
大好きだった。
愛していた。
たくさんの事を教えてくれた。


泣いてばかりいちゃだめだよな。
そうだ、今日は寮の後輩たちにどんなご飯を作ってあげようか。

僕はまだまだ未熟で他人にしてあげられることなんてほとんどないけれど、祖父の長く困難に溢れるも素敵な人生の中で一番おいしい料理を作ったんだ。僕にはまだこれしかないけれど、今自分に出来ることを精一杯しようと思う。美味しそうにご飯を頬張る後輩たちの笑顔を見たい。

誰かのことを思って料理が出来ること。
それを僕は幸せと呼ぶ。

頂いたお金は美味しいカクテルに使います。美味しいカクテルを飲んで、また言葉を書きます。