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弟に愛を覚えた日

ぼくには弟がいる。
7つ離れているのでそんなに大きな喧嘩は数える程しかしたことが無い。

そんな弟が幼い頃に大事件が起きた。

日付も季節も覚えていない。
ぼくが中学受験の塾に通っていた頃だから今から13か14年ほど前のある雨の日の出来事だった。

その日は土砂降りで、肌寒かった。ぼくを送迎するために免許を取ったばかりの母が運転して塾まで迎えに来てくれた。車内で母と何気ない会話をしていると母が急に叫んだ。

「○○!!!」

弟の名前だ。
後ろに車がいたら間違いなく事故になっていたに違いないほどの強い急ブレーキでぼくは一旦シートベルトに寄りかかった体をシートに押し戻される。

外を見ると、とても小さな人間がカッパを着て長靴を履いて黄色い傘を差して大雨の中を歩いていた。弟のお気に入りの傘だ。

ぼくと母が車を降りて駆け寄る。

「何してんの!!!」

4歳ほどだった弟は意を決した険しい顔をしていた。
そして、ぼくたちの顔を見ると大声で泣き出した。

「起きたら…お母さんいなくて…それで…ぼく…探しに行こうと思って…」

まだおぼつかない言葉で大べそをかいている弟の手にはお年玉やお小遣いを大事に入れておく為の財布があった。
ぼくの心の中はその日の空模様より荒れた。その時は分からなかったけれど、今こうやって思い出すと生まれて初めて「愛情」を明確に認識した瞬間だったと思う。もちろんそれまでも弟のことは可愛がっていた。けれど、それはペットに近いような愛玩だった。

幼いながらも雨に濡れないように長靴とカッパを着て傘まで差す重装備をしたこと。いざと言う時のために自分の大切なお金も持ち出してきたこと。うろ覚えでもぼくの塾の方向を覚えていて向かっていたこと。そして、一歩間違えれば、この立派な自我を持った弟を失っていたかもしれないということ。

それまでただ可愛がっていたぬいぐるみのような弟は、守るべき小さな命、人間なんだと強く心に刻まれた。
母は弟を抱きしめ謝り続けていた。そして、親子3人、びしょびしょで帰宅した。家の中は荒れに荒れていた。
起きたらお母さんがいないという絶望的な状況で必死に考え、必要なものを引っ張り出して大冒険の支度をしたのだろう。ぼくは泣きそうになった。
絶対弟を守る。
ぼくはその日強く決意をした。

頂いたお金は美味しいカクテルに使います。美味しいカクテルを飲んで、また言葉を書きます。