優しい「負け」を求めて【アンソロジー総括と次回予告】

アンソロジー(anthology)

  アンソロジーとは、簡単に言うと『あるテーマの下でまとめられた作品集』である。そして僕は先日、生意気にもアンソロジを主宰した。Twitterで参加者を恐る恐る募集をしたところ、4人の方が名乗りを上げて、素敵な作品を寄せてくれた。参加者のみなさんには心から感謝したい。
 実はこのアンソロジーは二度目で、一度目は『いつしか離れてしまった子供の頃の夢』というテーマで主宰した。

 一度目は、いろんな作家さんの世界観を楽しめるアンソロジーというものを初めて読んだ感動に駆られて、仲のいい方たちを勧誘して見よう見まねで挑戦した。

そして、こっぴどく打ちひしがれた。

「仲のいい人たちと、同じテーマについてワイワイ書けたら楽しそうだし、みんなの子供の頃の夢も知りたい」という何気ない理由で、挑戦したアンソロジーが僕に突きつけたのは、「自分の作文の下手さ」だった。もちろん、みんなのかつての夢を知れて楽しさもあったけれど、僕に一番色濃く残ったのは敗北感だった。

 僕以外の参加者の文章はどれも自分よりもまとまっていて、そして、心を揺さぶるものだった。あまりの悔しさに、僕はこのアンソロジーから半年の間アンソロジーについてあまり話さないようにした。そして、黙って自分の文章を読み返して、書き方を見直した。スタバのギフトカードを知り合いの作家さんに勝手に送り付けて、添削を受けるようになった。
 他には、「zoom飲み」というカムフラージュで知り合いのコピーライターを頻繫に巻き込んで、彼らの仕事をおだてながら、自分の疑問を会話にちりばめた。そんなズルいインプットを重ねた僕は、タイトルの付け方や、構成も(少しだけ)意識できるようになった。

 自分は作文が下手なんだから仕方がない、と割り切って努力した。そして、noteさんのおすすめにピックアップされるという結果に結びついた。僕はほんの少しだけ自信を取り戻して、「またアンソロジーをしたいな」という欲望が再びちらつくようになった。

 そんな矢先に、友人に「またアンソロしよう」と刺激されて、二回目のアンソロジーを企画することにした。しかし、「若さと老い」という難解なテーマ設定と「だってみんな自分より文章が上手なんだもん」という僕の拗ね拗ねモード突入によって、企画は空中分解した。
 僕は分かり切った「負け」に向き合うのが嫌で、参加者にこまめなリマインドを一切せずに、投稿日の数日前になっても誰も脱稿していないという状況を半ば恣意的に作り上げたのだ。難しいテーマにしたのも、今思えばわざとだった気がする。僕は参加者に謝罪のDMをしながら、心のどこかでホッとしていた。そう、負けるのが分かっていたから逃げたのだ。(巻き込んでしまった方には謝意しかない)

逃げた先には何もなかった。

 狡猾に敗北から逃げたのは良いものの、その先には何もなかった。心の中がモヤモヤして、数日間何も手につかなかった。確かに、僕は敗北から逃げることに成功したけれど、何も失わなかった代わりに、何も得なかった。

僕は、負けていたら何を失っていただろうか、と自問してみた。

何も思いつかなかった。

なんなら、前回のアンソロジーでの敗北から僕は沢山のものを得ていたのだ。「負け」に飛び込む勇気がなくて、僕は貴重な機会を失ったのだ。

ふと、何気なく一か読み流した古賀さんのnoteを思い出した。

 古賀さんが友人にぶん投げられたというエピソードが「負け」の価値へと昇華された、分かりやすくも含蓄のある素敵な文章だ。一度目のアンソロジーで味わった「敗北」とリンクした学びがあった。そして、このnoteは次のように締められていた。

ま、ケンカはよくないけどさ。世のなかにもっと「乱取り」みたいな場所があるといいのかもなあ、と思うんですよ。怪我したり骨折したり財産を失ったりはしないけれど、見事な「負け」を経験できる場が。負けの数だけ人は謙虚になれるのだし、成長のきっかけもつかめる。負けたという思いが、すなわち学びなんだから。負けない場所に逃げてばかりじゃ、人間だめになると思うんですよね。

 そうか。「敗北」を味わってなお、僕が二度目のアンソロジーを主宰しようとしたのは、見事な「負け」を経験出来る場が欲しかったからだ。作家さんに負けたって対して痛くない。しかし、noteで趣味として楽しんで文章を書いている仲間にぶん投げられると、かなり凹む。そして、自分の文章を改善するきっかけにもなる。

もう逃げない。

 僕はすぐにアンソロジーを企画した。難解なテーマなんて要らない。明けたばかりの、心なしか、例年よりも長く感じた梅雨にヒントを得て、『雨』というテーマで募集をかけた。公開期日もTwitterで明言した。
 タイトルもコンセプトも必死に考えた。大切な作品を寄せてくれる人が少しでも「かっこいい」と思ってくれるようなものを作りたかったから。そうして、完成したのがこのアンソロジーだ。

まぁ、結果は自分の予想通り、ボコボコだった。。。

英丸さんの「あれ、こんなひねくれたこと書く人だっけ?」と思わせてからのオチに声を出して笑い、そして、二本目での雨への愛に自分が最後に蹴った水溜まりを思い出した。

南葦ミトさんは、日々健やかに育つ娘さんへの愛を雨に絡めて書いてくださった。下書きを共有してくださって読んだときには感動に咽び泣いてしまった。

とらみなさんは、事象と心象の行き来を丁寧で僕から見て圧倒的な情景描写で言語化していて、一番僕が書きたいと思う文章に近くて純粋に嫉妬をしてしまった。ちょっとこれから時間を取って、とらみなさんの投稿を読み漁る必要がある。

あさぎはなさんは、切なる願いが何気ない雨の日に叶ったことを書いてくれた。恋人さんとのやり取りがやわらかく書かれていて、「あ、これは僕にはかけないや」と完全に白旗を振りながら読んだ。とにかく文章から人の良さが滲み出ている。

天然発酵手前味噌で申し訳ないが、今回のアンソロジーは素敵な情景がたくさん詰まっていて、僕の中では限りなく大成功に近かった。唯一の反省点は、募集の段階でタイトルとコンセプトが間に合わなかったことだが、次回に反省を活かそうと思う。

アンソロジーへのお誘い

さて、最後に、次回アンソロジーへの招待状を置いておこう。

テーマは「人生で一番エモかった料理」
ドレスコードのある高級レストランでの初めてのフルコースでも、母の唐揚げでも、父の半生人参カレーでも構わない。あなたがご自身の人生を振り返った時に、自分の心を一番揺さぶる料理について書いて欲しい。

CONCEPT
塩、胡椒、醤油、味醂、酒…この世界には数え切れないほどの調味料がある。更には空腹という見えない「最高の調味料」もある。
もう少し考えてみよう。
形のない調味料は空腹だけではない。
季節、天気、皿を共にした人への思い、事件も大切な調味料だろう。
それらが絡まりあった情景の中にこそ「最高の一皿」がある。

自分の人生の幸福の再確認
記憶の外部化
僕の下手な文章と比べて悦に浸る
目的はなんでもいい。

参加者が、各々の目的の為にこのアンソロジーを消費していい。
そして、対価として僕に優しい「負け」を贈って欲しい。

頂いたお金は美味しいカクテルに使います。美味しいカクテルを飲んで、また言葉を書きます。