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さらば青春の光

青春に光というものがあるとしたら、それは僕にとっては一人の女の子だったと思う。

彼女と初めて出会ったのは放課後の委員会の集まりだった。
大人に片足を突っ込んでいると思い込んでいる中学生にとって、それは大人の真似事をさせられていると思うには十分な茶番であり、委員会の間中、白けた空気が場を支配していた。

各クラスから集められた委員が、担当教師の指導の元におざなりに委員長を決めていく。こういった決めごとは大概の場合において、人気者、つまるところは目立つ人間が自主的に立候補するか、逆に最も文句を言わないであろう人間が無言の圧力によって手を上げざるを得ない状況へ追い込まれることでしか終わりを見ることがない。
教師の方も手慣れたもので、場の空気を上手く誘導しながらどちらかの方に持っていく。本当に学ぶべきはこういった手練手管だと思うのだけど、学校では決してこういうことは教えてくれない。

今回はどうやら後者の様だった。そして哀れなる犠牲者に選ばれたのは、今回は僕の様だった。僕にとっては運悪く、教師にとっては運の良いことに他のクラスの代表者は何かしらの役割をこなしたことがあり、無気力ながらもこれまで運よくそういった役職から逃れていた僕だったけれど今回だけは逃げ場がなかった。

四方から刺さって来る視線の中、おずおずと手を挙げると周りからはほっとした空気が漂ってきた。

最大の懸念である委員長が決まってしまえば、惰性で副委員長と、書記が決められる。正直に言ってほとんど何もやることの無い役職だ。
僕以外は女の子が二人、それぞれ副委員長と書記に決まり、3人揃って前の方の席に座らされた。後は毎年代わり映えしない年間のスケジュールが確認されるだけだった。

そんな中、書記に選ばれたと見るや驚くほど真剣な顔をしてノートにペンを走らせて議事録を取り始めたのが隣に座ったポニーテールの女の子だった。
それが彼女だった。

「そんなに真剣にやらなくてもいいんじゃない?」

僕は思わず彼女のノートを覗き込みながら教師に聞こえないように小声で呟いていた。

「でも書記に決まったから」

同じように小声で返してきた声は、甲高くてアニメの声優のような声だった。後々になって、本人にとっては周りから揶揄されるこの声が好きじゃないと言っていたけど、その時の僕にとってみればとても衝撃的で魅力的な声だった。

早々にフェードアウトした副委員長は放っておいて、彼女の記録したノートをパソコンで打ち込むのが委員会後に残された委員長と書記の仕事だ。
彼女のノートに議事録を取っていたから、僕の打ち込みが終わるまで彼女も必然的に残ることになる。
彼女は僕の作業が終わるのを待ちながら、他愛のないお喋りをしてくるようになり、それが毎週火曜日の僕たちの時間となった。

そういえば、どうして彼女はわざわざ自分のノートに議事録を書いていたのだろう。ルーズリーフにでも書いていれば、それを僕に渡すだけで済んだはずだ。しかし僕はそれに全く思い至らず、毎週のように彼女を隣に待たせながら、議事録を打ち込むことを続けていた。
彼女はそれに思い至っていたのだろうか。それは今でもよくわからない。

おそらく彼女は自分の魅力に気がつき始めていたし、たぶんちょっとしたずる賢さも持っていた。よくよく考えてみれば、あの委員長決めの時に彼女も手を挙げておらず、無言の視線の中の一人だったはずだ。それを後で指摘したときに、小さく舌を出して「ばれたか」とでも言うような表情を浮かべた彼女に、怒る気はせずむしろ可愛いと思っていた時点で、もう彼女の事を好きになっていたのだと思う。

それが僕の初恋だった。

初恋という実らないものの代表のような事実にもれず、何もできないままに月日は楽しくも残酷に過ぎていった。今考えてみれば、他にもっとやりようはあったのだ。どこかで彼女に告白の一つくらいしても良かったのだと思う。しかし自分の気持ちすら持て余し気味だった僕は、それが貴重な時間を無駄に浪費していることにすら気づかないまま、ただその瞬間だけを満喫するのに精一杯だった。

誰もがみんな、光を求めてどこかに群がっていく。
それは本人達にとってみれば、眩しい光に一歩でも近づくための崇高な行為なのだ。それを想像するくらいは僕にも出来る。しかしそれは少し視点を引いてみれば、公園の誘蛾灯に群がる羽虫のようにも見えるんじゃないかと捻くれた僕は思うのだ。もちろん僕だって傍から見れば羽虫に過ぎないと思っている。誘蛾灯を避ける様にしか過ごせなかった僕は、眩すぎる光に自分の位置を見失っていたのだった。


結局そのまま僕らは中学を卒業した。
お互いに牽制し合うような二人の関係は、最後まで一定の距離を保ったままだった。

高校に進学した僕は、その後偶然彼女を近所のコンビニで見かけた。

長かった髪をばさりと切り下ろしていた彼女は、それに加えて髪色も少し茶色がかった色に染めていた。別に高校生なら驚くほどじゃないけれど、それまでの彼女の印象とは全く雰囲気が変わっていたから僕ははっきりとたじろいでしまった。しかも彼女と並んで楽しそうにコンビニスイーツを選んでいるのは、どう見ても年上の大人な男性だった。
僕は顔を合わせないように棚の後ろに隠れながら、その場をやり過ごした。

彼女を見たのは、それが最後だった。


夜の闇を彩る蛍も、日の光の中で近づいてみればそれはどうしようもなくただの虫で、見なくていいものを見てしまった時のように後悔だけが後に残るものだとしても、それでも知ってしまった以上はもうそれ以前には戻れはしない。

その時、確かに僕の青春の光は、その輝きを反転させたネガフィルムのように僕の心に消えることなく焼き付いたのだ。

さらば青春の光。

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