見出し画像

101回目のなんとやら

妻が休みの日に作ってくれた料理を一口食べて、僕は言う。

「美味しい。結婚しよう」

テーブルの向かいに座って大皿に箸を伸ばしていた彼女は

「うん。もう結婚してるけどね」

と笑いながら答えた。


僕のこのセリフはいつものことだ。
最初はええっ?と突然言われた訳の分からないセリフに対して戸惑い、リアクションに困っていた妻も、僕があまりにも同じことを何度も口にするものだから、徐々に慣れていって軽口を返すようになった。

それでも僕はこれを言う。
別に毎日のように言うわけではないけれど、忘れたころに時々口にする。

きっかけはふと冗談みたいに言ってみたかっただけなんだけど、何度も言ってみるとなんだかとても大事な言葉のように思えてきた。
どうしてだろう。

妻とは学生時代に知り合った。通う大学は違ったけれど、お互いに演劇サークルに所属していて、それぞれの演劇サークルが年に一度、合同で作品の公演を行う機会がある。
その打ち上げの席でたまたま隣同士になったのがきっかけだった。
好きな劇団の話で盛り上がり、連絡先を交換して、時々一緒にアマチュア劇団の作品を見に行ったりもした。
ただその時はお互いに付き合っている相手がいたので、男女の交際という訳ではなくて、同じ演劇好きの友人という間柄だった。

大学を卒業して社会人になってからは自然と疎遠になり、会うことも無くなっていたのだけど、ある時たまたま見に行った劇団の公演会場でばったり会ってから、再び交流が始まった。
その時にはお互い交際している相手もいないことが分かり、いつの間にか付き合うようになっていたのだ。

結婚してからはお互いに忙しく、僕が夜勤のある仕事に就いていることもあって、なかなか二人の時間を取れずにいた。
やっぱり会話がなければ少しずつではあるけれど気持ちが冷めていってしまう。長年連れ添った夫婦であれば、お互い黙っていても通じ合うこともあるのだろうけれど、結婚してまだ1年も経っていないような僕らではとてもそこまでの境地には辿り着けていないと思う。

だからこの「結婚しよう」というセリフは初心を忘れないための僕の工夫なのだ。今考えたけど。
それにこっぱずかしいセリフを言うのは演劇でさんざん慣れていたから、躊躇もない。

僕は今日も言ってみる。

僕がトイレ掃除をしている間に、部屋の掃除機掛けをしてくれていた妻に対して、

「掃除機掛けありがとう。結婚しよう」

と言ってみた。

いつもなら笑いながら僕のセリフを受け流す彼女なのだけれど、しかし今日はちょっとだけリアクションが違っていた。
にこにこ笑いながら頷いてくれるのはいつもの事なのだけど、掃除機を収納にしまい込んだ後、悪戯ぶった表情でこちらに話しかけてくる。

「あのね、あなたが私にそれを言うの、さっきので100回目なの」
「え、そうなの?」

僕は逆にびっくりしてしまった。確かに何度も言ったけれど、途中からはてっきり聞き流しているものだとばっかり思っていたのに、実はしっかりと回数をカウントしていたというのだ。

「ありがとね。セリフの練習じゃあるまいし、100回もプロポーズしてくれるなんて思わなかったわ」

そう言って彼女は笑う。
つられて僕も笑いながら、あるアイデアを思いついた。

「でもせっかくなら101回目のプロポーズをしてみようか」

いつものように冗談っぽくではなく、襟を整え、居住まいを正し、一つ咳ばらいをして、大舞台に立った看板役者になったつもりで彼女に言った。

「いつもありがとう、結婚しよう」

その言葉に、彼女は背筋を伸ばしてお腹に手を添え、大女優の舞台挨拶のようににっこりと微笑みながら答える。

「そうね、もう結婚してるし、家族が増えるけどね」

え?まさかの彼女のセリフに僕はアドリブを返すこともできずにぽかんとしてしまった。
にこにこと笑みを絶やさずに彼女は嬉しそうに僕の方を見つめている。その貫禄はまさに大女優もかくやといったところ。

僕は彼女に喜劇役者のように間抜けな顔を晒しながら、徐々に喜びが体じゅうを駆け巡るのを感じていた。

更なる活動のためにサポートをお願いします。 より楽しんでいただける物が書けるようになるため、頂いたサポートは書籍費に充てさせていただきます。