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背中を押す話


昔から、自分を偽って見せるのが得意だった。どうせ他人の心の中なんて誰にも分からない。たとえ表面上だけだったとしても、嬉しいときににっこりと笑いかけ、一緒に泣いてやり、同じように憤慨してやれば人はあっさりと相手を信用するようになる。俺はそれを幼い頃から何の苦労もなく自然に出来ていた。自分を育てた両親ですら、俺はずっと欺いてきた。幼いころは無意識に、物心ついてからは意識的に。

学生時代も、社会に出てからも、人付き合いで苦労したことはない。
基本的には敵を作らずにやってこれたし、たとえ全く俺に責任のないことで酷く憎まれていたとしても一度会って話をすればこちらの味方にすることができた。

だから俺は試すようになった。俺がどこまで出来るのか。
会社にひどく精神の不安定な同僚がいた。そいつを手懐けるのは簡単だった。不安は簡単に依存へとその傾きを変える。依存がピークに達したところで、再び心の天秤を揺さぶってやれば、脆くなった心はあっさりと砕け散る。顔をぐしゃぐしゃにしながら俺に縋りついてくるそいつに俺は冷たい言葉を浴びせ続けた。蜘蛛の糸に縋りつくようにそいつは俺に助けを求めていたのだろう。それは分かり切っていた。だから俺はあえてそいつの背中を押した。翌日あっさりとそいつはビルの屋上から飛び降りた。

……ぞくぞくした。

俺は人の生死すら上手くやれば操ることが出来るのだ。


それから俺は大きなターミナル駅の駅前で道行く人を観察し、これは、という人間に声をかけるようになった。ターゲットを探すのに苦労はなかった。誰しもが心に辛いことの一つや二つは抱えている。それを見つけ、最初は優しくあやしてやり、心を許したところでひどく揺さぶってやる。俺をすっかり信用して油断した心は傷つき、疲弊し、摩耗する。
あとはちょっと背中を押すだけでいい。

9人、やった。

9人もやれば俺の技能は証明されたようなものだ。言いふらすつもりもないし、ただの自己満足だったからそろそろ飽きてきた。キリのいい10人目、次で終わりにするかと駅前のベンチに座っていると、向こうから俺に声をかけてきた女がいた。そいつを10人目とすることにした。

いつものように気さくに話をはじめ、徐々に相手の懐に入り込んでいく。手順は変わらず、ただこちらから声をかけるという手間が省けているだけだった。その日のうちには繁華街の薄汚れたホテルのベッドの上で、その女の抱えているものを腑分けするように俺は手に取っていた。
その女で言えば肉親による暴行がそれだった。
誰にも言えずにずっと抱えていたそれを今日会ったばかりの見知らぬ男に恭しく差し出している。俺は内心でほくそ笑む。最後の相手も簡単だったな。

俺の右腕を腕枕にしていた女が薄っすらと目を開けて、こちらを見る。

「―――あなた、嘘ついてるでしょ」

まるですべてを見透かすような瞳に、我知らず動揺してしまった。

「そんなことないよ」
「嘘。嘘ばっかりついているのね。分かるわ」
「本心から喋っているつもりなんだけどな」
「……じゃあ、今からあたしを説得してみてよ」

女はそう言うと、突然ベッドから跳ね起きて、はめ殺しになっている窓を椅子を振り上げて砕いた。そのまま手足がガラスでざっくりと切れるのも構わずに窓から半ば身を乗り出す。

「さあ、どう?本心からの言葉で、あたしを説得してみて?」

なぜその時女の挑発に乗ったのか。今日会ったばかりの女だ。そのまま死なせても構わなかったはずだ。しかし生死すら操ることができると思っていた俺だが、人を死なせることしかしていなかった事にその時初めて気がついたのだ。

そして俺は間違っていた。死のうとする人間を追い詰めることと押し止めることにこれほど違いがあるなんて、思ってもいなかった。

説得した。必死になって説得した。もはや何を言ったのかは覚えていない。
最後の方はもう説得になっていなかったような気がする。ただひたすらこれまでの事を、自分の事をただぶちまけていたように思う。最後は女の方を見てすらいなかった。床にうずくまり、嗚咽を漏らしながら、これまで死に追いやっていた9人の人間にひたすら俺は詫びていた。
気がつけば女に血まみれの手で抱きしめられていた。

「もう、嘘はついていないみたいね」

俺は女の腕の中で子供の様に泣き崩れていた。

誰かの通報で駆け込んできた警察に俺はこれまでの事を話し、自首した。長い裁判を終えて、自殺教唆の罪に問われ、7年の刑期を終えた俺を迎えに来たのはただ一人、あの女だった。


今の俺は皮肉にもカウンセラーの職に就いている。

あの時の9人に対して僅かでも償いになると信じて、俺はこれから一人でも多く、生きるための背中を押してやりたいと思っているのだ。

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