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馬が合わない馬の話

 先日、小倉競馬場に行ってきました。
 馬を見ていると、なんだかとても懐かしい気持ちになります。というのも、実は私、小学生の頃に競馬が好きだったんです。本日はそんな幼い私のちょっとした挫折についてお話させていただければと思います。

 競馬好きな親戚の叔父さんの影響あってか、当時まだ小学校低学年だった私は競馬というものに興味を持つようになりました。毎月なけなしの小遣いで『りぼん』ではなく『サラブレ』を買っては、雑誌の読者コーナーにハガキを投稿したり、付録(競走馬がただ走っているだけのポスター)を部屋に飾ったりしているちょっとエキセントリックな小学生でした。
 そんな競馬ライフを送っていた私は、いつしか「将来は競馬の騎手になりたい」という思いを抱くようになっていきました。よし、大きくなったらJRAの競馬学校に入るぞ、と決心を固め、武豊騎手に憧れ、GⅠレースを制する自分の姿を想像していました。
 そんなある日のこと。私はふと思いました。本気で騎手を目指すんだったら、今のうちからやれることをやっておいた方がいいのではないか、競馬学校に入る前に馬という生き物に慣れておくべきなんじゃなかろうか、と。なかなか用意周到な子どもです。
 さっそく私は、「競馬の騎手になりたい。馬に慣れるために乗馬を習いたい」と両親に頼み込みました。最初はさすがに嫌な顔をされましたが、娘の熱意に折れてくれた両親のおかげで、私は近所の乗馬クラブに入会することができました。

 さて、その日から週一回の乗馬レッスンに通い始めた私。それはもう、とても充実した日々でした。同じクラブに通っている余所の小・中学校の友人もできました。レッスン後にみんなで自販機のアイスを食べながら帰る時間はとても楽しく、自分の世界がまたひとつ広がったような気がしました。夏休みには馬房掃除のバイトをしたり、子供だけの乗馬合宿に参加して徹夜でトランプしたりと、有意義な時間と貴重な体験を積み重ねていきました。
 肝心の乗馬の技術はどうだったのかというと、小学6年のときにライセンス5級を、中学1年のときに4級を取得し、順調に成長を遂げていたんじゃないかと思います。次は3級。馬の扱いや手入れにも慣れてきて、自分の人生が計画通りに進んでいることを肌で感じていました。

 ところが。
 そんな私の人生に大きな挫折をもたらす存在が現れたのです。
 それは、「ハナコ(仮名)」という一頭の馬でした。

 レッスンがある日は、乗馬クラブでまず受付を済ませ、それから自分が今日乗る馬がどの子なのかを確認する、という流れになっています。受付の横にあるパソコンのモニターに自分と馬の名前が表示されているので、それを見て該当の子を迎えに行かないといけません。馬を馬房から出して待機場所に繋ぎ、ブラッシングをしたり、足の裏に詰まった土などを掻き出したり、という手入れを終えてから、鞍や頭絡などの馬具を装着し、レッスンが始まるのを待ちます。ここまで、すべて自分でやらなければならないのです。
 その日、私は乗馬クラブに行き、いつものように自分が乗る馬を確認しました。
 パソコンのモニターには、

「木崎ちあき――――ハナコ」

の文字。
 へえ、今日はハナコって馬なのか。乗馬用のウェアに着替え、ブーツとヘルメットを装着した私は、さっそくハナコを迎えにいきました。
 ところが、このハナコ、大変な問題児でした。芦毛の牝馬なのですが、この乗馬クラブでナンバーワンの暴れ馬といっても過言ではないでしょう。とにかく言うことを聞かない。噛み癖、蹴り癖がひどい。ずっと首を激しく上下に振ってばかり。じゃじゃ馬とはまさに彼女のことです。
 しかも、馬という生き物は頭がいいので、相手が子供だとわかると舐めてかかるんですよね。なにも知らない私は、さっそくハナコの洗礼を受けました。馬房から連れ出そうとしたところで、ハナコは歯を剥き出し、私の腕に思い切り噛みついてきたのです。めちゃくちゃ痛かった。
 それでもなんとか(エサで釣って)連れ出しましたが、今度は手入れをしている最中に蹴られました。太ももに蹄の跡がくっきりと残るレベルの一撃によって、私は再び痛みに悶絶する破目になりました。
 ハナコはレッスン中もなかなか命令通りに動いてくれず、その日は本当に散々でした。もう二度とこいつには当たりたくないな、と私は心の中で祈りました。

 ところが、次の週も、その次の週も、私の相棒はハナコでした。その間、私はハナコに噛まれ、蹴られ、振り回され続けました。同じレッスンの仲間たちにも「またハナコだね……がんばれ……」と同情される始末。
 そんな苦行が数か月続き、さすがの私も「木崎ちあき――――ハナコ」というパソコンの文字を見てうんざりするようになりました。とはいえ、別に文句を言うつもりはありません。プロになったら乗る馬なんて選べないんだから。なので、ハナコに乗れと言われたらそうするしかない。……ただ、納得がいかなかったんです。だって他の子たちはいつもいろんな馬に乗っているのに、私だけなぜか毎回ハナコ。いや、さすがにおかしいやろ って思いますよね。
 一度だけ、担当の先生に直訴したこともあります。「先生、なんで私だけいつもハナコなんですか。私もたまには違う馬に乗りたいです」と。すると先生は「あいつを扱えるのはお前しかおらんのや」と調子のいい適当なことを言って流していました。大人ってずるいなと思いました。クラブ1のじゃじゃ馬ですから、もしかしたらハナコは他の会員から総NGを喰らっていたのかもしれません。「あいつには乗りたくない」「他の馬にしてくれ」というクレームが多かったのかもしれません。だったら子供でも乗せとこ、子供なら文句言わんやろ、木崎ならいいやろ、みたいな裏事情があったのかもしれません。
 想像に過ぎませんが、そう考えるとなんだか今度はハナコが可哀想に思えてきました。その気性の荒さゆえに敬遠され、誰からも愛されなくなってしまったハナコ(想像ですが)。可哀想だな、それなら私が乗ってやろうじゃないか。まだ素直で心優しかった中学生の私の中に謎の同情心が芽生え、蹴られても噛まれても我慢してやることにしました。

 その後もハナコとのバディは続き、私もだいぶ彼女の扱いに慣れていました。しかしながら、慣れはじめがいちばん危ないものなんですよね。そういうときに限って事件が起こります。
 その日、レッスン前の手入れを終え、ハナコに背を向けたままぼーっとつっ立っていたところ、急に彼女が私にすり寄ってきました。まるで甘えるかのように、鼻先で私の背中を撫でてきたんです。
 私は心底驚きました。お、おお?どうしたハナコ、急にどうした。今まで「触るな」と言わんばかりに私に噛みつき、蹴り飛ばしてきた彼女が、自らこちらに歩み寄ってくるなんて。進んでスキンシップを取ってくるなんて。信じられません。奇跡です。
 突然のデレに私はびっくりすると同時に、ちょっと舞い上がりました。これはまさか、ハナコに認められたんじゃなかろうか。第一印象最悪だった者同士が、時間をかけて心を通わせ、ついに友情が芽生えたのではないかと。まるで修行先のラーメン屋の頑固おやじ師匠に、自分の作ったラーメンを初めて「うまい」と褒められた弟子のような気分でした。ようやくハナコに認めてもらえた、これからいいバディになれるかもしれない。そう思いました。

……でもまあ、人生そんなに甘くないですよね。背中を見てみると、ハナコの鼻水がべったりくっついていたんです。なんてことはない、彼女はただ私の背中で鼻水を拭きたかっただけでした。私のことなんてただのティッシュくらいにしか思ってなかったわけです。
 悲しい。とても傷付いた。そして、さすがに憤りを覚えました。なにが認めてもらえた、だ。鼻水をなすりつけられるなんて、完全に馬鹿にされています。「このクソ女、馬刺しにするぞ」と心の中で憤りながら、私はハナコを引き連れてレッスンへと向かいました。
 馬に限らず、動物というのは人間の感情を敏感に察知するものですが、そのときの私のハナコへの敵意はしっかり彼女に伝わってしまったんでしょうね。その日のハナコはいつもに増してじゃじゃ馬でした。右へ行け、左へ行け、走れ、という私の合図に、首を大きく振って嫌がりました。
 なんとかスピードを上げようと彼女の腹を鞭で叩いた、そのとき、事件は起こりました。障害のバーを跳ぶ直前、ハナコが突然暴れ出したのです。彼女はナポレオンの肖像の三倍くらい高く前足を掲げて立ち上がり、乗っている私を振り落とそうとしました。なんとか鬣にしがみ付き、私も必死抵抗しましたが、全速力で走るハナコが急に曲がったことでバランスを崩し、私の体は大きく投げ出されました。さらに不運なことに、足が鐙に引っかかっていたので、私はしばらく宙吊りの状態で引きずられ、最後に頭からどさっと地面に落下。まるで主人公に撃たれた後の西部劇のモブみたいに。紛うことなき落馬です。あまりの激痛とショックでしばらく立ち上がれないほどでした。
 それまでにも何度か落馬は経験していましたが、ハナコから振り落とされた今回の一件は私の心に大きなトラウマを植え付けてしまったようです。この日から、私は馬に乗るのが怖くなってしまいました。馬に乗るのが怖いということは、当然競馬の騎手になんてなれません。私の将来の夢はハナコに引導を渡され、ここで潰えてしまったのです。
 その後、私は乗馬クラブを辞めました。そして、競馬学校ではなく普通の高校に進学することになったわけです。

 もし、万が一、私とハナコの相性がよく、鼻水をつけられることも振り落とされることもなく、ずっと乗馬を続けていたのならば、今と違う人生を送っていたのだろうか。私は今頃、競馬の騎手になっていたのだろうか。JRAのCMを見る度に、大人になった今でもふと、そんなことを考えてしまいます。
 ただひとつ言えるのは、あの日ハナコに引導を渡されていなければ、私は今こうして小説を書いていなかっただろうな、ということです。だったら、あのじゃじゃ馬と過ごした時間も悪くなかったんじゃなかろうか。当時は憎くて憎くてたまらない相手でしたが、今となっては愛しさすら覚えます。

 それ以降、私は競馬への興味も失ってしまいました。ですので、最近の競走馬については何も知りません。競馬に触れるのも久しぶりです。今回せっかく小倉競馬場を訪れたので、日本ダービーの馬券でも買ってみようかと思ったのですが、どの馬がどんな感じなのかもさっぱりわからない。
 なので、あのハナコに似た芦毛の馬に単勝で賭けてみることにしました。勝てば万馬券。夢が膨らむところですが。

 結果は12着。人生そんなに甘くないですね。

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