大道芸人を目指した話

少し長くなってしまいますが、ちょっと思い出話をさせてください。
私が文章を書くことに興味を抱いたのは、中学3年生のときでした。夏休みの宿題で人権についての作文を書いたところ、それを読んだ当時の国語の先生が「君は作文が上手だね」と褒めてくれたのです。生まれて初めてのことでした。長所も短所も、他人に指摘されるまでなかなか気付けないものですが、「え、私、作文得意なの? 知らんかったわ~」とびっくりしつつも、すごく嬉しかったことを今でもよく覚えています。
その国語の先生は初老の男性で、中学生の私たちからすればおじいちゃんみたいな存在でした。いかにも人生経験が豊富そうで、彼は授業中に「昔は作家として本を書いていた」と話していました。「先生の本はどこで買えるんですかー?」とふざけて尋ねるクラスの男子に、先生は「もう絶版になったわ!」と答えて生徒を笑わせていました。
そんな元作家先生から「文章を書く才能がある」と言われ、褒められて伸びるタイプの単純な私は、「まじか。じゃあ小説でも書いてみようかな」と思うようになりました。それが高校一年の頃です。当時はちょうど携帯小説ブームで、幸いにも中高生が簡単に小説を書いて投稿できるサイトが存在していました。バリバリの部活生だったのでそこまで時間は割けませんでしたが、私は電車通学中のちょっとした時間を利用して作品を書いていました。

とはいえ、それもただの趣味に過ぎず、小説家になろうという気はまったくありませんでした。そもそも小説家なんてなろうと思ってなれるものでもないし、私には無理。常識的に考えて無理。絶対無理。それくらいの分別はあったので、普通に高校を卒業し、自分が入れるレベルの大学を受験し、ろくに講義に出席せず毎日バイトと趣味に明け暮れ、いつしか小説を書くことも疎かになっていきました。
そして迎えた就職活動。私が目指したのは作家ではなく主に編集者の方で、いくつかの東京の出版社の採用試験を受けましたが、結果はどこも惨敗。その頃は空前の就職氷河期時代で、多くの学生が苦しんでいました。五十社以上受けて全滅、という話もざらでした。
そして、私自身もなかなか就職が決まりませんでした。本命だった東京の会社に応募し、福岡から夜行バスで12時間かけて何度も面接へ通ったというのに、無情にも最終面接で落とされてしまった私は、人生に対してすっかりやる気を失ってしまいました。就活をやめたまま大学を卒業。地獄のニート生活の始まりです。

 一日中、寝間着のまま部屋に引きこもる毎日。親の冷たい目。無言のプレッシャー。払えない年金。減り続ける貯金。太り続ける体。
 何てザマだ、と思いました。どこから選択を間違ってしまったのだろう? こんな人生に何の価値があるのだろうか? このままではいけないとわかっているのに、今更就職活動を始めようとしても、重い腰が動きません。一度社会から切り離れた所にいってしまうと、精神的なハードルが上がり、元の場所になかなか戻れないものです。
自宅警備と犬の散歩に勤しむ日々を過ごしていた、そんなある日のことでした。働かない私に、いい加減親もキレてるし、家に居辛い。このままでは駄目だ。どうにかしなければ。でも、私になにができるのだろうか。自問自答していた私は、ふと、あの国語のおじいちゃん先生の言葉を思い出しました。「君は文章を書く才能がある」という、あの一言です。
そうだ、たしか私には昔、文章を書く才能があったはずだ。だったら、小説を書こう。作家になって、一発逆転ホームランを狙おうじゃないか。もはや失うものは何もない。そう思い立ち、私はパソコンを開きました。
今思えば、なんて無謀な考えだろうと震えてしまいます。この状況で作家を目指そうとするなんて、かなりクレイジーです。作家になるのは常識的に考えて無理だと、高校生の私はわかっていたのに、ニートの私にはわからなかったのか。「まずは働け」と当時の自分に言いたい。そんなギャンブルな人生はやめろ、と。
そして案の定、上手くいきませんでした。ひたすら小説を書き、毎月のように出版社に原稿を送りましたが、箸にも棒にも掛かりません。それでも私はがむしゃらに書き続けました。「私にはこれしかないんだ!」と言わんばかりに、狂ったように書きまくりました。ますます引きこもりに拍車がかかり、両親も「あいつは一日中部屋の中でパソコンいじって、いったい何をやっているんだ?」と不安と苛立ちを募らせていたことでしょう。そのうち私は、さらに家に居辛くなり、たまに出掛けるようになりました。「バイトに行ってくる」と嘘をついて外出し、母親が作ってくれた弁当を持って公園や図書館で時間を潰したこともあります。まるでリストラされたことを家族に言えないでいる中年サラリーマンのような気分でした。

そんな日々を過ごして一年が経ちました。未だデビューに至らず、私は再び焦りはじめました。ここで、ひとつの疑問が浮かびます。
「そもそも、私には本当に、文章を書く才能があるのだろうか?」
目を逸らし続けてきましたが、これは重要な問題です。
文才のある人間が、これだけ文学賞に応募して落選続きなはずがない。あの国語教師のじいさん、適当にお世辞言ったんじゃないか? というか、文章を書く才能と小説を書く才能は違うんじゃないか?
途端に自分の能力と、原動力だった先生の言葉を疑いはじめ、私のアイデンティティは崩壊し、内心パニックになりました。
何をやってるんだ、私は。たいした才能もないくせに作家を目指すなんて、そもそも間違いだったんだ。身の程知らずが、と後悔したところで時すでに遅し。

その日から、私は小説を書くのをぴたりとやめました。代わりに始めたのが、YouTubeです。一日中YouTubeの動画を見て過ごしました。つまるところ、現実逃避です。就職活動をしているわけでも、小説家を目指してるわけでもない、ただ毎日部屋に引きこもり、ネットで動画を見ているだけの、ニートの完全体と化したのです。
やる気もなく、ひたすらYouTubeを眺めていたある日のこと。私は偶然、ある動画に出会いました。それは、海外の大道芸人が、かの名曲「Shingin’ in the Rain」のメロディに乗せてジャグリングを披露している動画でした。なんて優雅でカッコいいのだろうと、それを見た私は強く胸を打たれました。そして、こう思ったのです。
「私も大道芸人を目指そう」と。

まじで頭がおかしい。今振り返ると本当に意味不明な思考回路なんですが、恐ろしいことに当時の自分は大真面目でした。すぐにジャグリング用の道具と教則DVD(全部で3万円くらい)をネット通販で注文し、さっそく練習を始めました。ずっと部屋に引きこもっていた娘が急に自宅の庭でジャグリングの練習をしはじめたのですから、両親も近所の人もさぞ驚いたことでしょう。「木崎さんちの娘さん、仕事もせずジャグリングばかりしてるのよ~」なんて、ご近所さんの間で噂になっていたかもしれません。ですが、当時の私は一切気にしませんでした。頭の中には、派手な衣装を身にまとい、福岡市の路上でパフォーマンスを披露する自分の姿しかありませんでした。

そんなこんなで大道芸の練習を始めて二か月が経ちましたが、またもや私は大きな壁に直面します。いくらジャグリングを練習しても、まったく上手くならないのです。びっくりするぐらいヘタクソ。ボール三つを操るのもやっとのことで、技術が上達する気配がありません。ボールをポロポロ落とすので、いつも飼い犬が咥えてどっかに持っていってました。
その頃には、もうすでに悟りつつありました。駄目だ、私は大道芸人には向いてない。大道芸の才能がまったくない。これならまだ作家を目指した方がマシだ。ジャグリングに比べたら、小説を書いていた方が、まだ可能性があるかもしれない。
こうして私は再び小説を書き始めました。ジャグリングの道具をクローゼットの奥にそっとしまい込んで。

その後、両親を少しでも安心させるために、私は派遣社員として働き始めました。週三、四日勤務し、それ以外の時間を使って小説を書いていました。「そろそろちゃんと就職しないとな」と思いつつも、作家になるという夢の諦め時がわからず、半ば意地のように投稿活動を続けていました。

派遣社員から契約社員へと昇進(?)した某日、そんな私の元に一本の電話がかかってきました。出版社の編集者さんからでした。新人賞を受賞し、念願の作家デビューが決まったのです。「嬉しい」というよりも、「よかった」「これでやっと胸を張って食卓を囲める」という安堵が強かったですが、とはいえやはり嬉しいものでした。
デビューできたのはただただ運がよかっただけですが、もし仮に私の中にデビューに至る才能があったとすれば、それは先生に褒められた「文章を書く」才能ではなく、「周りに白い目で見られても夢を諦めない」才能だったんだろうなと思います。
私のデビュー作が発売されたのは、2014年。ちょうど5年前です。吸血鬼ものの現代ファンタジーでした。今読み返すととても拙く、恥ずかしさもありますが、手に取る度にデビュー前の思い出が蘇ってくる、愛着のある一作です。
あのときの国語の先生の一言がなければ、私は小説を書こうとも思わなかったでしょう。就職活動が上手くいき、無事に出版社に入社していれば、編集者という違う立場で小説を世に出していたかもしれません。もし私に類まれなるジャグリングの才能が備わっていたら、今頃は路上で皆様のお目にかかっていたかもしれませんし、編集部に拾っていただけなかったら小説を書くのを辞め、ごく普通のOLとして働いていたかもしれません。いろんな奇跡と運が重なって、こうして作家として本を出すことができるようになり、この5年間でたくさんの読者の方と出会うことができました。

今年はプロ入り6年目、いつまでも新人気分でおりますが、いよいよ中堅に差し掛かってまいりました。プロ野球と同じく、いつまでこの仕事を続けられるかわからない厳しい世界ではありますし、自身の才能のなさに落ち込み、「私って小説家向いてないんじゃないかな」とため息をつくことも多々ありますが、「まあ、大道芸人よりは向いてるか」とポジティブに考えながら、これからも頑張っていこうと思いますので、皆様どうか、今後ともご贔屓に。

……余談ですが、「Shingin’ in the Rain」といえば、『シャンハイ・ナイト』という映画に、ジャッキー・チェンがこの曲に乗って傘で踊りながら戦うというシーンがあります。私はこの場面が大好きなのですが、この映画と出会ったのもちょうどニート時代で、人生どん底で塞ぎ込んでいた私をジャッキーのアクションが笑顔にしてくれました。忘れかけていた「私もこんな面白い作品を書きたい!」という熱い思いとやる気が漲り、猛烈な勢いで西部劇小説を書き上げました(ちなみにこの作品は電撃大賞で一次選考にも通りませんでしたが、同時に応募していた『博多豚骨ラーメンズ』が大賞を受賞しました)。
人生いろいろ。何が起こるかわからないものです。私の作品もどこかで、誰かの人生をちょっとでもハッピーにできていればいいなと思うばかりです。


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2019.02.15. デビュー6年目を迎えた際にブログに書いた記事で、なんともしょーもない生い立ちで恥ずかしいので消そうかと思っていたところ、なぜか担当編集さんがめちゃくちゃ褒めてくださったのでこちらに残しておくことにしました。夢に悩んでいる方を少しでも励ますことができたら幸いです。



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