見出し画像

反抗期がなかった俺が26歳で精神的自律に目覚めたわけ 後編

大学教授の言葉、数歩先を行く同期の背中、そして親との対峙。
自分がどうしたいのかという想いを知れば知るほど、自分が置かれている環境に不満足が募って仕方がない。

不器用な性格が功を奏してか、その湧き上がる意欲を無理やり抑えて生きるか、そのあふれる想いを採用して生きるかの2択しかアイデアが浮かばなかった。結果、腰に巻いていた安定という名のロープを静かに解いて崖から飛び降りる方をえらんだ。

ナイアガラか、はたまたイグアスの滝か。命をかけるつもりでジャンプしたその勢いは、僕を自転車で日本の端っこまで連れて行き、アジアを回って、福岡の地へと運んだ。
(前編を読んでない人はこっち↓↓

そして、2019年、自立の旅路は精神の世界(後編)へと足を踏み入れた。


1.精神的自律の始まり 

前編の最後にも触れたが、福岡で仕事をして約半年。自分でもびっくりするしかない出来事が起きた。
簡単に言うと、いわゆる”ビジョンが見えた”のだ 。

それも、会社の代表アッコとともに。

真昼間の天井に満点の星空が見え、乾燥した空気、そして周りの草の背丈、生えている木の様子までシェアすればするほど全く同じ。口裏を合わせた記憶などなく、ただただびっくりしていた。
感覚を頼りに探っていくと、どうもその時は旅の途中。大きな木の下で何かを忘れないようにと願いを込めて星空をお互いの脳裏に焼き付けていた。横に寝転がっているその相手は血の繋がった妹だった。

この出来事が起こったのは、2019年の4月。

そこからおよそ1年が経過したが、今振り返るとその日からあらゆる歯車が自分の精神的な自律に向けて回転し始めたように思う。

まずはじめに、起こったのは会社の分裂だった。

あの日を境にして、俺とアッコの中でお互いに関する探究が止まなかった。それまで、どんな人生をいきてきたのか、あの旅は何を目的としていたのか。なぜここでもう一度出会ったのか。何を求めて今世生きているのか。
この不思議な体験を前に好奇心が尽きることはなく可能な限りの時間をその探究と擦り合わせに当てた。それからというもの、俺はアッコに対して妹を見守る兄のような感覚が常に沸くようになった。アッコが安心していたり喜んでいる様子をみると、自分のことのように嬉しくて何より安心した。
一方アッコの方もしゅわしゅわと炭酸が湧き出ているような感覚で、新たな自分が開花する前兆のような予感に心を震わせていた。その湧き出る感覚に素直に生きることを心に決めたアッコはより一層に無邪気になった。
それを見て俺は本来のアッコがもどってきている感覚を覚えてただただ嬉しかったのを覚えている。

ここだけ見たら、あー、そうなん。よかったねって話だが、もちろんそこでは終わらなかった。そんな様子を見て、周りの人たちが”恋をしている”と言い始めたのである。

確かに異様としか言えない雰囲気だっただろう。
20歳の年齢差がある代表と入社半年の新入社員が何やら目に見えないものことについてものすごい勢いで話し込んでいるのだ。
もともと気持ちや意欲といったものを大切にしている会社であることや、アッコ自身が様々な講座の講師を務めていたことから、その変化は会社に影響した。

簡単に言うと、輪をかけて心に従って生きるアッコの様子を見て、

それは、よかったね!より本質に近づいたアッコとともに生きるのが楽しみ派

と、

何を言ってるの?ちょっと理解に苦しむ。信頼できないよ派

の2つに分かれた感じだ。もともと8人だった会社は4人ずつに分かれ、お客さんの数は、8〜9割ほどが去っていき、事業変革を起こし、今の会社ができたのだ。


2.誰かが決めた”これがいい”から、あなたの決める”ちょうどいい”へ

事業を変革し、新たに駆け出したひとのことでは、

REIWA COZY「誰かが決めた”これがいい”からあなたの決める”ちょうどいい”へ」
詳しくは(こちら
という合言葉を軸にして活動することを決めた。

この言葉には、”こうあるべき”や”こうするもの”といった慣習に自分を合わせる生き方から、自分が心地いいなと感じる生き方へとシフトしていこうという想いが込められている。

それを実現していくためには、自分がどんなことに喜びを感じ、怒りを感じ、悲しみを感じ、幸せを感じるのかを知り、自分の意欲を見つけ、その生き方を実践していく必要があるのだ。

そしてそれをこれでもかと教えてくれる存在が、ぼくにとってはアッコであった。


3.怒りを取り戻す

僕はもともと喜怒哀楽がうっすらとしかないタイプだが、とりわけ”怒り”という感情を表現することがまるでなかった。

権威主義ともとれるが、周りの雰囲気を伺って、なるたけ波風の立たないのように生きることが正しいと思っていたし、それで人にとやかく言われることもなかった。

しかし、アッコはそれを怒った。

「そうやって本当は自分の中にムカつくって湧いてるのに、口では言わずに平静を装ってるのがすっごくムカつくよ!!そんなんだからいつまでも、自分のことがわからんのやろ!!」

すっごくムカついたけど、僕は嬉しかった。

同時に思い出したのは、家族の前で思いっきり怒りを表現してみたけど、ただただ批判されて鎮火されて終わった小学2年のあの日のことだった。
もちろん何か自分が悪いことがあったのかも知れないが、どうであれ、怒りを表現してもいいことないからやめとこうって思ったのだった。

そしたら途端涙が出てきた。

寂しくて悔しくて虚しかった。

僕は、それさえも受けとめられたかったし、同時に誰かを受けとめたいのだと気付いた。


4.利用か作用か

アッコとの間では、今みたいなことが山ほど起こる。
何気ない一言が原因でとんでもない喧嘩に発展することも多々ある。2019年度はほとんど毎日そうやって過ごしていた。
その度に見たくない自分のやましさや醜さや完了されていない過去の感情と向き合うことになり、本当にうんざりした。

ただ、アッコとの関係の中で明らかにこれまで人間関係と違っていたのは、そこに”作用”があるように感じられることだ。

利用とは違う。利用というのは、自分が得をするようにうまく使うことだ。もちろんたくさん得もしているが、それが一方通行ではなく循環を生んでいるように感じるのだ。意図したものであったとしても、うっかりだったとしても、自分とアッコとの間に起きたことが、互いの問題に直結し、その解決が互いの成長に大きな影響を及ぼしている。

すごく身近なことで言えば、車でふらっとどこかに立ち寄ったことがあった。
アッコはこの”ふらっと”を恐れていたと言って泣きそうになっていた。本当は気分でふらっとたちよることがしたいけれど、小さな頃からそういう気分屋なところを咎められたり、禁止されたりしてきて、一緒に乗る相手の顔を伺っていたらしい。
どないやねん!と最初は笑ったけど、逆にその店で意欲のままに買い物をする姿に驚かされた。そんなに心のままにお金使っていいんだ。。。!ものを買う時に、〇〇円まで、とか一個だけとかたくさんの条件があった自分のブロックが外れた。
そんな些細なことから、もっと心の深いところのものまで自分への禁止や許しがびっくりするほど真逆で、相手を知ることがそのまま自分を知り、許すことへとつながっていく。

5.まとめ 向かう世界と自律

そんな何から何まで真逆な中で、自分たちの人生の目標だけが全く同じだった。

「あー楽しかったって言って死ぬ」

各々が年間計画を描いた時のビジョンを見せた時に笑った。そして、そのために何をなしていくのか、それは映画GIVERの中に集約されているので見て欲しい。


簡潔に言ったら自分を知ってそんな自分を存分に生かす人生を、より多くの人が送る環境を作ることである。


僕はアッコとともに双子だった時にやりきれなかったその旅をもう一度この世でやり直しているところだと思っている。

魂の伴侶とかツインソウルとかいろんな言い方があって、そういう情報も山ほど調べた。結局しっくりきたのは”魂のパートナー”だったり、”魂の片割れ”という言葉だ。

別に籍を入れる訳ではないが、今も365日中360日くらいはともに生きていて、世にいう夫婦よりも深いパートナーだと思っている。残りの人生も自分たちの自己探究と目的を果たすことにつかう。

こんな話をわざわざブログにして公開することにも山ほど躊躇して、山ほど怖がって、山ほど葛藤したが、これから自分たちが紡いでいくパートナーシップや、コミュ二ティが、似た想いをもつ誰かにとっての希望になることが、自分にとっての何よりの意欲であり、喜びである。


目に見えることの成功や幸せといえば、
結婚して、子どもつくって、マイホーム建てて、いい車乗って、休みに旅行いって、、、、みたいなのが令和に入ってもなお、王道だと思う。

ただ、自分も”そうしなきゃ”みたいな思いはあったけれど、”それがしたい!”という思いが全く湧いてこなかったのである。

心にあるのは、今の生き方への心からの安心と湧きたちである。

もっともっと自分を知っていった先にどんな自分が出てくるのか楽しみだ。今日のところの自分の気持ちや意欲をよく吟味し、葛藤を超えてその想いに応えるように行動している自分は、だいぶ自律してきたなと誇らしく感じている。

画像1


ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?