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実体より実感寄り

 実際どうあるかよりどう感じるかが大事になってきているのかもしれない。

 ちょうど今日、ソイミートが増えているという記事を見ていて、肉そのものよりも「肉っぽいもの」があればいいんだなと思った。

 VRもそうだし、世界の絶景を動画で見るのだってそうだ。目の前にあるかよりも「あるような気分」や「見た感じ」があれば満足してしまう。

 かくいう僕自身も例外ではない。自分の感覚をとても大事にしている。けれど、実感が全てになってはいけないなと思う。なぜならそれが極端化すると、事実すらも捻じ曲げて解釈するようになってしまうからだ。

 たとえば、僕はいまPCに向かってnoteを書いているわけだけど、隣の人に「これは食べ物です」と言われたら、頭が真っ白になってしまう。

 事実の共有ができなくなったら、コミュニケーションは非常に困難になってしまう。だからこそ、自分の感覚を大事にしながらもバランスをとって、本当にそうかと自問する視点がより大事になってきていると思うのだ。

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