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不快を尊ぶ

 雨上がりに蝉時雨がした。肌は張りつくような湿気をまとっている。

 そうそう、夏はこんな感じだった。
 生物がやかましく、外気は肺に入ってもベタベタする。なによりも不快な暑さ。

 正直、僕は暑いのよりも寒いの方が得意だ。寒いのは着込めばいいが、素肌なそれ以上脱ぐことはできない。

 けれど、この「不快」って感覚は、とっても大事な感覚だと思うのだ。
「快」は僕達を熱中させ、のめり込ませるアクセルだ。
「不快」は僕達を遠ざけ、命を守るブレーキだ。

 楽しさなど、今は「快」が求められる時代だと思っている。「やりたいこと」を持つように半ば強制され、享楽に興じる。でも、嫌な予感が勇み足を踏み留まらせ、疲労や痛みが僕達に休息の必要性を教えてくれる。

 この不快を感じ取る力が衰えてしまうと、些細な異常を感じ取れず、大病を患うことになってしまうのだろう。

 別に、積極的に不快な気分になりにいけと言いたいのではない。ただ、ことさら避けない方がいい。疲れるから、面倒だから、と手順を省略してしまう。外は暑いから外へ出ないでエアコン生活では体温調節が機能しなくなる。

 不快さが備わっている異常、それは僕達にとって必要なのだろう。

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