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変えられない過去よりこれからを

 過去になにをしてきたのか。その為人を知る手がかりにはなる。

 だけど、過去の出来事で今のその人までを判断してはいけない。過ちに気づいて、変わった(変わろうとしている)人まで許されない世の中は苦しいな、と思う。それは過去になにか悪事をしてしまった人はもちろんだが、糾弾する側の人の首も絞める。

 完全に清廉潔白な人はいるだろうか?
 ある程度生きていたら暴かれたくないことの1つや2つはあるだろう。自分が他者を痛烈に非難する人は、長期的に見ると自分もその危険性を背負ってビクビクすることになるのだ。粗探しは1度始まったら区切りがつくまでは終わらない。その対象に自分がならないと、どうして言えるのだろう?

 もちろん自分が当事者ならば、黙っていてはいけない場合もある。けれど、関係のない人が口を挟む必要はないのだ。大抵の場合、だれかに対する怒りや憎しみは、自分の体験を投影して非難しているだけで、一時的に溜飲が下がっても、その根っこはなくなりはしない。それどころか新たな憎しみを生み出してしまう。

 輝かしい過去も塗り潰したい過去も消せない、変えられない。であるならば、これからを生きようとすることが認められるあり方が僕はいいし、そうやって生きる人に伴走していきたい。

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