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失敗も成功も規定しない優しさ

 ようやくインフルエンザの熱が下がり、まともに立ち歩けるようになったものの、相変わらず咳と軽い頭痛が残っている。3日間で50時間近くベッドの上にいたと思うので、平衡感覚がおかしくなってしまったのか、フラフラとしてしまう。

 とはいえ、すっかり凝り固まった身体をどうにかほぐしたくて、軽く動かしたら絶望的なまでに鈍っていた。これまでコツコツと継続していた努力が瓦解してしまった気がして、思わずため息をついてしまった。
 時間をかけて、また取り戻していくしかない。

 努力は必ずしも報われない。無に帰す場合もある。
 だけど、その体験を何度も重ねるのは大切だ。

 毎日朝が訪れるのと同じくらい、努力が報われないことが前提であれば、傷つきもしない。「なんで朝が来てしまったんだ」と毎日傷ついている人がいないように。 
 そして、報われた時の喜びも一入だろう。

「努力が報われなかったら、心が折れてしまう」と意見もあるだろう。
 本当にそうだろうか?

 そう考えるのは成果主義に染まりすぎているかもしれない。
 報われるのは素晴らしいと、既に信じ切っているじゃないか。報われなかった人は可哀想だと決め込んでしまっている。しかし、報われない努力、失敗から学べることはたくさんある。どちらも大事なのだ。

 失敗も成功もだれかの価値観を引き受けながら、決めている。だから、身近な人が少なくとも意識上はそれを押しつけなければ自分で考え、見つけ、選び、変えていくんだ。

 そうすれば過程そのものを楽しめるだろう。
 脱出ゲームみたいなものだ。「脱出する」という目的はあるが、ゲームの醍醐味は創意工夫をして、隠された要素を見つけだし、思考を巡らせ、道筋を自分で築いていくことに楽しみを見出していく。そうなれば、きっと最強だ。

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