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記憶の残滓となろう

 年に1回は顔付き合わせて話す友人がいます。期せずして生まれたサイクルが今年で3年目。去年は友人から声がかかったので、今年は僕の方から声をかけました。

 会おうと思えばいつでも会えるのに、わざわざ会おうとはしない。仲が悪いわけではなくて、ベタベタするのがお互いに好きでもないから、これくらいがちょうどいい。

「友達」「友人」という言葉は、関係性をひとくくりにしてしまいます。だけど、友達だから一緒にいないといけないとか、友人だから連絡を取り合わなければというのは窮屈です。色んな距離感、向き合い方があっていい。

 1年の間隔があるからこそ、実感できる変化や繋がりがありました。

 そして、友人との対話を通して、僕は改めて間接的な人間なんだなと思い知らされました。

 例えば、ある程度生きていると人生を一変させるような出会いがあります。すると、その直接的な変化を与えてくれる人が注目しがちなんですよね。
「一緒に会社をやろう!」と誘われたら、その人の印象って大きいじゃないですか。けれど、元を辿ればその人と出会うきっかけを作ってくれた人や、それ以前の興味・関心を湧かせてくれた人が存在しています。

 僕はどちらかといえば後者に属していて、記憶に埋没していく人です。半ばそれを望んでいるので、不満はないのですが、そうなると実績の証明が困難です。だから、信頼は築けても、信用がいつまでたっても積み上がりません。

 その差に悶々としている自分がいることに気づきました。
 どうにかして埋められたならば、より僕にとって過ごしやすくなるのでしょう。きっとそういう立場に置かれている人はたくさんいて、同じように悶々としている人もいるのでしょう。大変だとは思いますが、意義のあることですから、今後も頑張っていきましょう。

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