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ふくら雀

ふくら雀って寒い冬に自分で空気を身体中に取り込みマイ・ダウン・コートにしているのですね。私の描いたふくら雀はそんなに膨れていませんが。。。

ふくら雀は喜字で福来雀とか福良雀と書くそうです。このおめでたい字に変えることは昔からよくありました。比叡山はもともと日枝山と呼ばれていたそうです。比叡の叡は「聡明なこと」「天子の行いに敬意を払うこと」という意味で延暦寺が建立されると比叡山に変わっています。

因みに比叡山には神社もあり日吉大社といいますが、この日吉ももともとは日枝から始まったもので「枝」は「え」が少し伸びて「えい」と発音され「えい」なら「吉」だということで日吉神社と書かれるようになりました。全国にある日吉神社、日枝神社、山王神社は全て比叡の日吉大社から始まっているのですね。
ちなみに京都にも後白河上皇が日吉大社から山王七社(上七社)を勧請して新日吉神宮(いまひえじんぐう)を創建しています。決して「しんひよし神宮」ではありません。

さて俳句は雀の句です。なかなか決まらず二句ずつです。

寄り添って電線におり寒雀(かんずずめ:晩冬)

電線でおしくらまんじゅう寒雀(同)

冬は地面の餌が少ないこともあり、木の枝や電線に数羽かたまって止まって暖をとっているようです。人間ならおしくらまんじゅうってとこですね。
電線に雀が三羽とまってさ!!!

チュンチュンと来訪伝える秋雀(あきすずめ:三秋)

秋雀餌あげずとも我が家族(同)

雀の鳴き声だけは鳥に疎い私にもわかります。別に雀は来たよと言っている訳ではないのですが、ああ又来たなと私には挨拶にも聞こえています。雀の声まで聞こえるのはよほど暇なのでしょうね。餌をあげることはありませんが、なんだかやって来ると家族が帰って来たような気分です。

かしましや米屋の前の稲雀(いなすずめ:三秋)

騒がしや米屋のまわり稲雀(同)

子供の頃、道を挟んだ向かいに米屋がありました。道にも運搬用の自動車から米粒が落ちたと見えて雀がチャンスとばかり米粒をつついています。今では米屋という言葉自体、死語になっているかも知れませんが、当時は米穀通帳なるものがあって配給制は終わったものの、柱に打ち付けた釘にこの米穀通帳が吊るされていました。と、ここで通帳が気になって調べてみるとなんと昭和56年まで存在していました。昭和44年の自主流通米制度の発足で実質的に存在意義を失っていましたが、その後も私が30才を超える頃まで存在していたのですね。


ふくら雀


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