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「好きなもの」とのつながり方について

今日は午前中から自宅のパソコンの前で作業をしなければいけない日だった。
私はその時の気分によって、作業用BGMを流す日もあれば、無音環境でカタカタとキーボードをタイプする音だけが響いている日もある。
今日はまさに、無音の中で作業したい気分の日であった。

作業に集中していると、さして生活音は気にならないのだが、ふと、耳に意識を持っていくと、隣人が爆音で聴いている音楽が耳に入った。

隣の部屋はAirbnbとして使われているらしい。(確かめたことはないが、いつも違う人が出入りしているので、そういうことなんだと推測。)
今回の滞在者の生活音は音楽に限らず、かなり存在感がある。

現在隣人として存在するその人は、好きな曲を無限ループで聴くタイプの人らしい。もう、かれこれ、同じ曲が6、7回は再生されている状況だ。
誰の曲かわからないが、爆音無限ループ、結構きつい。
だんだん集中できなくなってきて、noteにこんな内容を書き始めてしまったではないか。

* * * * *

「好きなもの」との向き合い方は人それぞれだと思う。それを批判するつもりはない。
私は自分の大好きなバンドの曲をプレイリスト単位でずっと聴いていることはあっても、一番好きな1曲だけを無限ループで聴くタイプではない。
何度も聴いて何度も浸りたいという気持ちはわからなくはない。
だって、その曲は特別な力を持っていて、いつでもショゲてる自分を励ましてくれたり、伝えたい思いを代弁してくれているのだから。
それはなんとなく理解できるのだ。

しかし、繰り返し聴いていると、そのうち「好きだ」という特別な気持ちも「普通」に変わり、そのうち耳を澄ますことを忘れている自分に気づく瞬間が訪れる。

私の場合、この瞬間が、とても寂しいと思ってしまう。

* * * * *

昔、バンドと音響の仕事と楽器屋バイトをしている根っからの音楽野郎と付き合っていた時期がある。
友達の紹介で出会い、出会ってすぐにいろいろな深いことを語り合い、楽しい日々を過ごした。そして、気づけば彼の気持ちに押されて付き合うことになっていた。
自分が追いかける側であることに慣れていた私は、こんなにも強く気持ちをぶつけてくれる人がいることに不慣れではあったが、ありがたく受け入れることにした。

彼はとにかく尽くしてくれた。
私のバイトが終わる頃には迎えに来てくれたし、おいしい朝ごはんも作ってくれた。私も彼が好きだった。

とにかく、尽くして尽くして尽くして、そして、彼は燃え尽きた。
彼は完全に恋愛に飲まれていた。

付き合い始めて数ヶ月経った頃、彼はなんの前触れもなく、「音楽に身が入らないから、距離を置きたい。」と言って私の言い分は聞かずに消えていった。
そして、そのまま、私たちの関係は終わった。

* * * * *

私はあの恋から、人生におけるとても大切な教訓を得た。
「好きなもの」を好きである状態を守るための、ちょうどいい距離感というものが存在することを学んだ。


私は現在のパートナーに質問してみた。
「あなたは好きな曲をリピートして何度も聴いてしまうタイプですか?」と。

彼は答えた。
「どんなに好きでも、一度聴いたアルバムは、しばらくは聴かないタイプです。」

「好きなもの」との距離が私より遠い気はするけれど、この答えが聞けて嬉しかった。


気づけば無限ループも終わっている。
そろそろ作業に戻らねば。


この先の作業BGM:『ソレイユ』中野良恵


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