考えるのではなく思い出すのだ(続)

きのう学問に答えを求めるタイプについて書いたが、もう一つのタイプは、自分以外の人に問題を見つけ出し「この人がこんなだから自分がこんなに苦しい思いをしなければならない」と他者の問題だと思い続けている人。良い子に多いタイプ。この人と関係を断っても、また新たな「この人(存在)」が現れる。
常に「この人」に付きまとわれていて、自分はツイてないと感じている人がある。
このタイプの人は、まずその事に気づかなければ始まらない。
知らず知らずに自分には落ち度がないと思っている(気づいていないのだから思っていないと言う)ので、第三者には見えていても、このタイプの人にはなかなか言えない。(完璧なほどの常識の持ち主で落ち度がないように見える)きっと気づくチャンスは何度も何度も訪れているはず。
あまりにもそんな(ツイてないと思うような)体験が多いと感じる人は、「誰にでも問題があるはずだけれど、自分の問題って?」という質問が用意されている。

学問は、どちらのタイプの人も自分の問題がはっきりし、自分らしい自分を発見し始めた頃、または発見した後にこそ役に立つ。

一番自分自身に出会えないタイプは沢山読みあさり学問に答えを探し求める人。知識がたくさんあり過ぎて「既に分かってる」と思ってしまっているので、更に読みあさる。
それはNealeさんの言う《罪というものがあるとすればそれは、他人の体験で自分を創りあげてしまうことだ。》
こういう人だと私も思っている。

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