理解

私は専門的な知識がないので
私の理解の仕方を書くしかないけれど、書いてみたいと思う。
乙武さんの事に触れて彼がおっしゃりたかったことと世間の理解に隔たりがあるのではないかということを思い出した。
彼は「五体不満足の状態を自分にとってはごく当たり前の事だ」とおっしゃっていたと思う。なので彼にとっては五体不満足という発想はないということだと思う。

妻が妊娠中というご夫婦が「五体満足に生まれてきてくれればそれだけでいい」という話をよく聞く。
そういう感覚に対してあのタイトルの選択があったのではないかと私は思う。
五体満足を望む人たちには分からないだろうが、私にとってこれが当たり前なのだ と言いたかった…でも、世の中はとても特別で凄い、とか偉いとか言っていたような気がする。
私は彼の当たり前を理解できたと思う。そして私の不満足の部分に気づいたと思う。決して乙武さんの当たり前を体験的理解をすることができない。という【理解不満足】。

また他の人の話。
全盲の歌手 新垣勉さんの小さなコンサートで、彼が話されたこと。(30年以上前)
歌の合間にジョークを交えて話される。一つの理由は笑い声で会場の広さ、人数、聞いてもらえているかの確認というようないくつかの要素を話してくださった。
見えない人の確認の仕方に初めて触れた。そしてそのやり方は、私には決してできないことだと知った。目をつぶったところで、私の理解は見えるという体験を通してのイメージでしかない。
見るということで逆に見えない物も沢山あると思う。そうすると障害って何?ということになる。
見るという体験がある人とない人では、認識がまるで違うのだ。
それからもう一つ、生まれたときから一度も見えなかった人が、手術によって見えるようになった。目の機能は完全だが、【見る】というのがどういうことか分からなく、その人の目の前で手を振ったり物を動かしたりして、初めてこれが【見る】ということですね…と。
その人の最初の【見る体験】を映像で見ることができた私は、人の【当たり前】を深く理解した。
これは聞こえない人でも、他のタイプの人でも同じことが言えるだろう。
どういうタイプか人数の差で多勢のタイプに便利なようにできていて、多勢を当たり前にしているだけだ。
自分の当たり前が正解のように生きていくのをやめた。
【当たり前】は一人ひとり違う❗
その人の当たり前を教えてもらわなければ分からない。
自分は分からない存在だと知ることで人の話をよく聞く人になる。理解したいと努力する人になる。
私は理解したい。教えて欲しい。



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