娘が言うには…

16年前にスウェーデンに移住した娘は、手続きが済むやいなや、国から小冊子が送られてきて、その中には【もし両親をこの国に呼びたい時どうしたら良いか】とか【仕事を得られないとき】とか、こと細かにこれから出会うだろう問題への説明が書かれていたと言う。(難民たちも同じものをもらうからだろう)

こんなテキストを読んで涙したのは初めてだと言っていたのを今でも思い出す。

手続きが済み次第、住いの近くのスウェーデン語学校がいくつか紹介され、無料で学ぶことができる。

娘のことば→『私この国にただの1円も税金を収めたことがないのに、こんなに大事にしてもらえる。歓迎されていることを心から感じて嬉しい。早く言葉を覚えてこの国の役に立ちたい。』こう言った。
お陰で彼女のスウェーデン語は「この国で育ったんじやないの〜?」と言われるほどに流暢らしい。必死で頑張ったと言っている。

親としては、自分が体験したこともない、しかも英語ではなく新たな言語の国へ行かせるのは、想像もつかない不安だった。そんな時、娘からこの話を聞いてどんなに安心したことか…。良い国に行けて心から良かったと思っている。我が国よりきっと幸せに暮らせていると今も常に思っている。

が、しかし16年前は日本からの移住者はまだまだ少なかったが、ある時期から急に増え、日本人に会う機会が多くなり、その人達と話すたびに悲しみと怒りを覚えることが多いと言う。

それは、来たばかりなのに、与えられる権利以上のことを求め、不満ばかり持っているらしい。
日本に比べれば数段整っている身の回りのことを、普通こうでしょう?ああでしょう?と。
〈普通って?日本の?ここ日本じゃないよ!それに日本だとこうだよ。〉と言うような話ばかり…〈税金まだ払ってないよね!〉と言いそうになるくらいに自分の置かれている立場や異文化の国にいる意識がない人達ばかりだと嘆いている。
日本人会のようなものがあるらしいが入っりたくないらしい。
同じ国の人間として恥ずかしくなるとすら言っている。

書きながら気づいたかが、このような人たちは自国でも、どこにいてもこういう人達なんじやないだろうか。就職すればそこへの不満、結婚すれば夫への不満子供への不満。きっとそうだろう。自分が改善する人には決してならないタイプ。

そういう人たちに限って、意味もなく、新しく仕入れた情報を上辺だけ自国へ持ち帰り自慢するのだと思う。

本当に上辺の真似を、お洒落ー!とか言う人たちに私ですら辟易させられる。
やっぱり この国の教育に問題があると思う。
いや教育かな〜?私と同年代の人たちでも同じことを感じるのだから、国民性なのかもしれない、だとしたら悲しくなる。

英語話せる=国際的 と思っている人達がいーっぱい居る。

話せるは第一歩ではあるが。
話せなくても公平な見方ができる人たちも沢山いる。

他国に行って「普通こうでしょう?」はいくらなんでもないでしょ❗

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