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感謝しなければ

以前に読んでくださった方には重複になるけれど、私は30歳の頃だったと思うが鬱状態だったのだろうと思う。朝起きるのも大変、やっと起きても、着替えることができない、健康な人には絶対に理解できないと思うし、今の自分でも可笑しくさえ思う。家事や育児から逃げたいのだ…と気づくと(結構長い期間続いたと思う)自然に変わっていった。むしろやり甲斐を感じるまでに。私が気づいたのは、誰にも評価されないけれど、誰にも管理されない。ただ家族が帰ってくるまでに、部屋が清潔で片付いていれば、または洗濯物がその日の内に乾けば、食事の用意が出来ていれば、他の時間は私の自由に出来る、私が私自身の管理者だと思うに至った。つまり私の仕事は、結構重要。(母に刷り込まれたものに縛られていたことに気づいたのだと思う)そして、これが私のスタイルだという生活を、やりがいを持ってやっていくようになった。自分にはやりたい事が沢山あることにも気づいた。自分の着る物、子どもの着る物、自分の髪を切るのも、おやつを作ることも、ちょっとした大工仕事も…。当時は観葉植物も好きだった。自分は何でもできると思うようになっていた。


ところが夫が引退して、それ迄のように過ごしていると、彼が掃除機をかけ始めたり、朝食の洗い物も…。
すると私は、たちまち罪悪感を味わうようになり、彼がやる前にやらなければ…と思うようになっている自分に気づいた。
そういう気持ちを味わいながら、数日考えていると、更にこんな考えが…。夫は長い間のサラリーマン生活を終え、ある意味自由になったのに、今度は家の仕事を…私を助けてくれているのか…それとも私のペースでは気に入らないのか…。まるできみまろさんの、熟年夫婦の悲哀をおびた笑える話だ。そこまで思うと、その通りを夫に話した。
彼は軽く笑って「いやー、そんなことを思ってるとは知らなかった、そう言われれば、どちらもあるかな?俺はやる事をやってから、ゆっくりしたいから」私「掃除や他の事はあなたがやる事ではないよね!だからやることをやってから…ではなくない?私があなたの思うタイミングでやるのが一番良いと言うことよね」と言うと「そんな風に誰の仕事とか思ってなかった、流し台に洗い物があれば、洗いたくなり、掃除が済んでなければやりたくなる、そんな感じかな?」「そうかー」と思う。
それでも、私はそれを放っておいて今まで通りの生活を続ける事に、罪悪感を感じずにいる事は難しい。それ迄の私の生活パターンは、パターンがないのがパターンと言った感じ。みんなが出かけると庭へ出て、いつの間にか手入れをしたり、触れて見たり、眺めたりしながら楽しんで、気が済むと中へ入り、目についたことから始める…とこんなスタイル。
時間に追われることなく楽しみながら家事をし、リビングルームのお気に入りの置物や棚にある物を眺めたり、本当に豊かな生活をしていた。
なので、夫に「あなたが折角自由の身にったのに、家事をやらせるのは嫌なのねー、でも私もあなたが家にいるようになったら、今までの生活が出来なくて、70歳からがあなたの好みに応じる生活をするのは、もう無理だと感じるのー、それで、嫌だと思うのなら、あなたの好きにしてー!って言うしかない」と言うと「あなたがどう思うか知らないけど、俺は別にいいよ!やることないし」と😃「エッ?いいのー?ヤッター!」ということで、私は本当ーに、毎日毎日好きな事をして過ごしている。
さっき、いつものようにアイビーの枯れ葉を取りながら、こんなふうに、気ままに自由に過ごせて幸せだなー!と思いながら、この生活に至った事を思い出していた。もし誰かに話すと、きっと「あなた、旦那さまに感謝しなきやー!」とか「するべきよ!」と言われた気がした。人はよく自分に対しても、他者に対してもよくその言葉を使う。
〈感謝すべき〉や〈ありがたいと思わなきゃ〉は、既にしていないから、思っていないから出てくる言葉であって、感謝していれば、「感謝してるのー」とか「ありがたくて…」と言うと思う。
それで、私はこの生活を感謝をしているかと言うと、正確に言えば、なんてラッキーなんだろう!と思っていて、夫の事を「もっと自由で気楽で、平気な人になれないかなー?!」と思っている。感謝すべきよねー😉

追記
感謝とは、その人の内側から起こってくる気持ちであって、「するべき」とか「しなければ」と、決められたり、仕向けられたりするものではないと思っている。

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