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詩と詞の違いを、改めて考えてみた。

現代の詩は「詞」か

詩の音楽性について学ぶ機会があったので、
そこを書いてみようと思ったのですが、
そこで思い出した別のことの方が引っかかりました。

佐野元春さんがNHKで「シンガーソングライター」(だったと思う)という番組で、「今のシンガーソングライターは昔でいうところの詩人だ」という趣旨のことを述べられています。

吉本隆明さんの本「詩の力」でもシンガーソングライターの詞と
「いわゆる一般に言われる」曲なしの詩がカテゴライズされずに並んでいます。

はっきり言って、「詞」も「詩」も同価値なのは当然ですが、
(作品の優劣は個々人の評価あれど)
「詩」は「詞」とはまた別物だと思います。

やはり、曲がつけられた「詞」には曲のイメージが先行します。
そして1度、作詞すれば分かると思うのですが、
「Aメロ」「Bメロ」「サビ」→1番を踏まえた2番への流れ
という大枠で考えなければいけません。
(あくまでも商業的な歌詞を考えて、の場合)
詩の自由性とは少し違うでしょう。

言葉の力

「詩」は「絵画的表現」でも「音楽的表現」でもなく、
純粋に「言葉」だけで勝負してこそ、の物だと思います。
(言葉の並べ方による「視覚効果」はあると思います)

何故、「詩」が「詞」と言われるのか。
それは「詩」が廃りきってしまった面が多いにあると思います。

難解な現代詩→読者が離れる、という「詩」の時代の移り変わりに、
曲と進化し、歌謡曲からJ-POP、圧倒的市民権を得た「詞」。

力関係から見れば、もう「詞」を書く人も「詩人」。そうなってしまっているのが現状だと思います。

ここで述べているような詩を書いている詩人は詩人にしか、
本や詩誌を基本的には送りません。
知り合い、親戚に渡して嫌がられるものは「詩集」という話もあります。

閉塞した視点を変えてみる

ただし、「今」はどうでしょう。
趣味が細分化し、各々が好きなことをするネットがインフラ化した世界です。

詩人も商業的に売れる(あくまで出版社の戦略とデザインありきですが)詩集もあるでしょう。
「文字」だけで勝負しない風潮に不快感を示す詩人の方もいます。

昨今のSNS事情を鑑みるとツイッター等の文字情報に疲れた民は、
インスタグラム等、画像情報、動画情報に流れているみたいです。

ただ、それで言葉の力が弱まったのか?というとそれは違います。
私たちはあくまで人間で言葉というツールでコミュニケーションし、世界を構築する力を持っています。

だから私もこのnoteでこういう考えを書いてみたりしています。

まとめ

「詩」と「詞」の違いはあれど、言葉が持つ力は強力です。

時代が変わり、言葉の意味も変われど、人間は言葉という能力を捨てることはないでしょう。

そのために、先人の詩人たちがしてきたように、詩人も作詞をし、作詞家も詩を書き、表現していけばいいと思います。

詩人・作詞家と、職業としてどちらの言葉も弱くなった時代ですが、表現しないことには何も始まりません。難しい言葉を使わなくても、ポエムと馬鹿にされても書いたもん勝ちだと思います。

そして詩にしても作詞にしても、どうしたら一人の人の心を動かせるか。その点を考えて創作したらいいと思います。

これの最初のきっかけは、内なる自分を動かせるか、どうか。その点に尽きると思います。

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