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ネットニュースの話題とアフガニスタン侵攻の意外な関係

 昨年(2019年)暮れに、私の主宰しているグループ『漆黒と灯火』で、J-CAST総帥にして元朝日新聞の伝説の特派員であった蜷川真夫さんをお呼びして、いま成長しつつも物議を醸しているネットニュース界隈についてお話をお伺いしました。

 当会では月一回、有識者をお呼びして二時間ほどの対談を毎回させていただくのですが、ちょっと今回驚きの事実だったのは、蜷川さん、実は1979年のソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻を、特派員として現地から一番最初に世界で事実をすっぱ抜いたご本人だった、ということです。言わずもがなですが、調査報道では英語圏も含めて伝説的な事例としていまなお評判でありまして、中央アジアやロシア方面の政治史でも「アフガニスタンの極秘侵攻をしょっぱなで見抜いた朝日新聞」とよく言われます。

 この手の舞台ものでは、福島原発事故検証委員会(民間事故調)を手がけられ、現アジア・パシフィック・イニシアチブの財団理事長にして元朝日新聞社主筆の船橋洋一さんが著名なのですが、蜷川さんはその朝日新聞での先輩にあたります。

 当時、ソ連はアフガニスタン制圧はものの数ヵ月で終結させられると自信をもって侵攻し、おそらくですが、戦勝してから発表しようと思っていたところ、横から出てきた朝日新聞という無名の極東媒体が第一報として報じたものですから、大騒ぎになったのでしょう。当時ソ連や欧州で商売をしていた私の親父が、まだ子どもであった私の前で「クレムリン内に日本のスパイが深く潜入しているらしくて、今回あっちに行ったらもう出国できないかもしれない」と悩んでいたのをよく覚えています。パパ早く帰ってきてと、私も泣いてね。まだ幼稚園通いだったと思います。

 でもまさか、蜷川さんが当時の現地特派員で、それを報じた御仁であったとは驚きを禁じ得ません。しかも、現地で「なんかアフガニスタンでドンパチが始まったらしいよ」と現地ガイドから声をかけられ、面白半分に四時間ぐらい車に乗って見物に行ったら戦争が始まっていたので帰って記事にした、というのが真相だったというので二度びっくり。なんと、牧歌的な。

 いまやそういう戦地など危険な地域の報道は、朝日新聞など日本のマスコミも正規軍ではなくその都度連れてくる外部のジャーナリストに予算をつけて取材をさせるやり方にシフトしたようで、それなら確かに組織としてのリスクは小さいかもしれませんけれども、どうしても欧米のメディアや現地の英語報道に負けてしまうのは仕方のないことなのでしょうか。

 そういう蜷川さんが突然朝日新聞を辞めて始めたJ-CASTがネットニュースの一角として生き残り、いまでは立派に日本のネット言論の真ん中らへんに位置して定着しているというのはようやく得心がいきました。報道する側の何たるかを知っている人が運営しているのですから、仮にカネがなかったのだとしてもその根幹がきちんとある以上、それは潰れずに生き抜くのだろう、と。

 当『漆黒と灯火』は会員制で、お陰様で60名の会員がほぼ満員になっているのですが、先日無事5周年を迎えました。ありがたいことです。いま改めて若干名の募集をしておりまして、もしもご関心のある方はぜひご連絡を賜れれば幸いです。

 例会と、例会後の宴会は東京で開催していますが、地方や海外にお住まいだったり、日程が合わずご参加いただけないという会員さんには、対談の様子を撮影したDVDらしきものを会員さん限定でお送りさせていただいております。

2020年1月勉強会のゲストは奥村倫弘氏(元Yahoo!ニュース編集長)、2月勉強会のゲストは千村浩氏(元厚生労働省医官、現小児精神科医)を予定しております。

 なぜか日本に一時帰国される会員さんが診察される特殊な人間ドックはどこが腕がいいかの手配や、悪いことをしていないのに捕まりそうになった金融事業者さんに当局対応の詳しい弁護士を紹介するなどの謎のサービスもしておりますが、5年間、当会創設初期からずっとご一緒している方が半分ほど、また、一度ご退会された後で戻られる方などもおられ、FacebookグループやViber、Telegramなどで交流をしています。

 ご関心のある方はぜひどうぞ。

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神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント