見出し画像

認識に補助線を描く

今日は3月にしては珍しいくらい暖かく、快晴といっていい天気だった。大学院の自主ゼミが終わり、17時半くらいに大学の最寄り駅近くを歩いていると、ふと低空を飛んでいる飛行機を見つけた。方角を考えると、羽田空港に着陸しようとしている飛行機だと思われる。結構はっきり見えるなぁと思いながら歩いていると、その飛行機とは別の、はるか上空を飛んでいる飛行機が作った飛行機雲を見つけた。

僕はこれを見て、今目の前に広がっている「空」に明確な高さがあることに気づいた。ちょっと立ち止まって考えたら当然のことだ。だけど、雲ひとつない青空の中に高さを認識することができる補助線が2つ引かれていたことによって、改めて認識できたというわけだ。

地上から空を見上げると、空の色がどこまでもまったく同じで、濃淡も変わらないときがある。そんなとき、私たちの認識(視覚)は「空」のなかに「高さ」という概念を見出すことは難しい。でも、今日僕が体験したように補助線が引かれているだけで、明確に認識できるようになるのだ。

目の前の出来事に補助線を引くことで認識が変わる。これは空の高さだけではなく、もっと本質的に重要なことのように感じる。日常生活における補助線は知識である。知識があれば目に見えるものが変わってくる。

少し前にデイリーポータルZに、『目に映るものの名前をできる限り知りたい』という記事が掲載された。普段何気なく見ている風景に映っているすべてのものには名前がある。それを一度知ってしまうと、これまでの風景はまったく違って見えるのだ。

名前は、もちろんその奥につづく広い世界の扉にすぎない。でも、名前を知らなければそれを調べるための入口にも立てない。

https://dailyportalz.jp/kiji/subete-no-namae-wo-shiritai

教育の役割は、「その奥につづく広い世界の扉」に立つためのトレーニングなのだと思う。だからこそ、それが役に立つかどうかは問われるものではない。そこに立たなければすべては始まらないのだ。

他人から見たらなんてことのない経験なのかもしれないけど、この発見は僕にとってかなり衝撃的というか、インパクトのあるものだった。こういう気付きを大切にしていきたい。

宮島衣瑛です!これからの活度のご支援をいただけると嬉しいです!