少女の聖域|きむらももこ|永遠の黒
Text: Kayoko Takayanagi
未だ見ぬあの少女に会うために、私は描きつづける。
どこにもいない、存在しない少女。
誰かに似ていることを許されない少女。
禁じられた少女。
それが私の想い描く少女である。
.....Momoko Kimura
愛想笑いという言葉ほど、少女に似つかわしくないものはない。
もちろん少女だって楽しければ笑うし、自然に微笑みがこぼれることだってある。しかしその笑顔はあくまでも自分のものだ。誰かのご機嫌をとるために楽しくもないのに笑うようなことを、少女はしてはいけない。いや、する必要がない。
愛想がないという言葉は主に女性に対して使われることが多い。まるで相手に愛想をよくすることが義務であるかのように、この社会は笑顔を強要する。本来感情は他者に強制されるようなものではないのだ。
少女は笑わなくていい。
初めて訪れたきむらももこの個展のタイトルは「とわのいらつめ」と題されていた。とわのいらつめ、つまり永遠の少女である。
描かれた少女たちは「少女」という概念を具現化したかのように、観る側の少女に対するイメージを映し出す。投影されたイメージの向こう側に在るのは、不在の少女だ。決してとらえることが出来ないにもかかわらず、少女を希求する誰の中にも遍在する少女。
少女は見つめる。こちら側を。魂の器がない、何も許されない少女。
そんな少女の、こちらを見つめるその瞳は、何かを見透かされそうだ。
そんな少女をわたしたちはどう思うか、感じるか。
.....Momoko Kimura
黒一色で描かれた少女たちは、笑わない。思いつめたような大きな黒い瞳でこちらを見つめる彼女たちは、頑なに表情を見せない。少女は感情を露わにしない。仄暗くひっそりとした孤独の中に静かに佇んでいる。
きむらももこは日本画の技法を用いて作品を描く。用いられる色は黒が主体であるが、彼女の黒はその中に実に多彩な色彩を含んでいる。敢えて笑わない少女が、その内面に豊かな感情を秘めているように。
他者におもねず自分自身に誠実であること。
少女が少女で在るために。
今回きむらももこは、少女に花を添えた。花の命は短い。しかしその姿を描くことで永遠に留められる。背景に服に描かれた花たちは、菫色の部屋に飾られることを知っていたのだろうか。
変わらない少女、変わってはいけない少女。
何をすることも許されない少女。
自我が芽生えること禁じられた少女。
.....Momoko Kimura
墨色の少女の眼差しにも色が添えられている。全ての光を吸収する黒い瞳に、たった一点いや二点打たれた紅は、少女という禁忌、その先へ立ち入ってはならない境界を表すかのように、観るものを立ち止まらせる。
日本画という伝統的な手法でありながらも、非常に現代的なアプローチを試みる彼女の作品は、現在の日本に於ける「少女」というものの立ち位置、その不安や諦観までも描き、独自の世界を形成している。
ぜひきむらももこが描く少女の黒に対峙することで、自分の中に在る少女性について、もう一度自問自答してみてほしい。
きっとそこでは不在の少女に出会うことができるから。
きむらももこ momoko kimura | 絵描き →Twitter
ファッションブランド「keisuke kanda」のイメージイラストを提供。2015年 大森靖子のCD「マジックミラー」のジャケットイラストを手がける。2019年 新宿眼科画廊にて個展「とわのいらつめ」を展示。
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きむらももこ|不変のいらつめ
墨・水干絵具・岩絵具・雲肌麻紙・パネル
制作年|2020年
作品サイズ|22cm×27.3cm
*額なし
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きむらももこ|見つめる 1
墨・水干絵具・岩絵具・雲肌麻紙・パネル
制作年|2020年
作品サイズ|18cm×18cm
*額なし
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きむらももこ|見つめる 2
墨・水干絵具・岩絵具・雲肌麻紙・パネル
制作年|2020年
作品サイズ|18cm×18cm
*額なし
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