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YOGA哲学.八支則「アヒム(ン)サー」について、私自身の中で腑に落ちた出来事。


ヨガ哲学「八支則」とは?

ヨガというと、「ポーズをとる」というのがイメージとして湧きやすいですが、そもそもヨガは日常生活から心と体・精神を整える(繋げる)というもの。

「ヨガスートラ」というヨガの経典(ヨガの教科書みたいなもの)には、
ヨガの修行による解脱(苦しみから解かれ、のがれ出ること、煩悩や束縛を離れて精神が自由になること、迷いを離れること)が書かれています。

そして「八支則」というのは
ヨガスートラに書かれているヨガ哲学の基本的な教えです。
具体的には
こんなことした方が良いよ〜、こんなことしない方が良いよ〜という日常生活における物事の考え方から、呼吸法・アーサナ(いわゆるポーズ)、瞑想についてまでのルールが書かれています。


八支則

苦しみから解かれ、のがれ出ること、煩悩や束縛を離れて精神が自由になること、迷いを離れること(=”悟り”ということかな?)
に向けて、上記の画像の8つのルール。

①ヤマ②ニヤマに関しては「マットの外での話」なんてよく聞くけど
ヨガに中も外もないような気がしてて
全てが交わっているのかなぁと思ってます。

ヤマ(日常でやらない方がより快適に過ごせるよ〜)・ニヤマ(日常で積極的にやった方がより快適だよ〜)に関してはさらに具体的に示されていますね(^^)


「八支則」について知ったのは15年くらい前。最初は文字の羅列にしか思えなかったけど、頭の隅にあったからこそ
日々起きる事柄と照らし合わせることができるんだよね。

”ヤマ”の中の「アヒムサー」について

「八支則」の中の
”ヤマ”:日常生活の中でやらない方がより快適に過ごせるよ〜という内容
その中でさらに5つの具体的なことの一つ。
「アヒムサー」について。

アヒムサー(アヒンサーとも)は「非暴力」と日本語では表されています。
「暴力」とは肉体的にボコボコ殴る・蹴るということではありません。
経典には下記のように書かれています。

暴力などの妄想には、すでに実行したもの、実行させられたもの、甘んじて承認したものなどの区別があり、貪(貪り)、怒り、愚かさに基づいて温和、中位、最上位の段階があり、尽きることのない苦とむちという結果をもたらす。

ヨガ・スートラ2章34節より

生きとし生けるもの・行動・思考全てのものに暴力を振るわないこと、傷つけないことを意味しています。
見方を変えればそれはどこが暴力で優しさかはその人次第ですけどね(まぁそれが哲学というもの…)

最近の「腑に落ちたな」、と感じるアヒムサーについてダラダラと書いてみる

先日出産をしたのですが、(まぁまぁハードと言われる出産でした)
驚くほどに産後の疲れがなかったのです。
もはや体が軽くなって「元気!」とう気が体の中から湧いてくるような感覚。
もちろん肉体的な傷は痛みますが。
看護師さんにも「私より元気だね!」と言われるほど。笑

術後でもどんな時でもなるべく

・背筋の力を使ってまっすぐ歩く
・足の裏の重心を意識する
・背中が丸まらないようにする

ことは意識して過ごします。

術後3日で後屈の動きとねじる動き以外の一通りの普段のYOGAプラクティス(基本動作)は出来るように。

「パーソナルヨガ」にて行なっている内容は私が普段やっている一連の動きをもとにしています。

産後の前屈やダウンドックは超絶気持ち良い〜〜〜〜〜(^^)

開脚や前屈の動きをしながら
本来持つ、体の回復力の素晴らしさにとても感謝の気持ちが生まれました。
もちろん出産直前まで体や心を整えてきた時間のおかげもありますが、そこに関してやってきたことが間違ってなかったこと、自分の感覚を信じられたこと、その時間がとれた環境、全ての時間やことに感謝の気持ちが沸々と湧いてきまして心がとても爽快になりました。

「非暴力」とは「⚫︎⚫︎をしない」という断定的なことではなくて
「感謝をする」ことから始まるのかなぁなんて思った次第であります。

こうして何年も前に初めて知ったヨガ哲学はその時は腑に落ちず、なんとなく知識としてわかったふりでいましたが
いつもどこか頭の隅にあって
日常生活で起きたことと時にリンクすることがあります。

それがヨガが動きとしてだけではなく、
「日常に根付いている」ということなのかな。
まだまだヨガへの探求は続きます。


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