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今の人脈を手放すと、次の世界が開ける。

何度もゴチコン(ご馳走コンサル)のことを書いてきたので、このメニューが生まれたキッカケについて、触れてみたいと思う。


かつて、サロネーゼ向けのサロンコンサルを積極的に打ち出し、仕事にしていた。コンサルは、単発で受けても刺激になる程度で、あまり成果につながらない。なので単発メニューは置かずに、最低3回〜に。そして当時は、対面かメールのみ。ベッドタウンの千葉県、東京とのギリギリ境に住んでいたので、立地も良かった。


やがて。初回のみ、相性をみる意味での単発をOKにして、それは12000円に設定した。もちろん、お試しではなくガチで臨む(← 今はやっていない)


そして紆余曲折を経て。大阪に移り住んでから数年は、年に4・5回ほど、ワークショップの講師として上京していた。その機会に、ちょこちょこ仕事の相談もいただくようになり…(この頃はまだ、zoomで対応などは1ミリも頭になかったの)


そこで。友人限定メニューとして、スイーツセットを奢ってもらう+体験料金の『特別コース』を作ることにした。これが好評で、仕事を名目に、ただお喋りしたくて申し込んでくれる仲間も多かった、と思う。


まだその頃は、関東で活動していた名残が強く、私のことを知る人も、関西圏より関東のほうが圧倒的に多かった。


1回の上京で1週間〜10日ほど、友人の家を転々と滞在する。ある時、いくつかのワークショップの講師と、合間に特別コースと、親しい友人たちと遊んだり…と予定を詰め込んだ10日間を終えて。

大阪に戻ってきたら、なんと2週間 動けなくなってしまった。ひたすら眠って、眠って、体力が回復するまで休養するしかなかった。病気でもなんでもく、単なる疲労。これを過労と呼んでもイイのだろうか?


あぁ、もう若くはないし、この生活はキツいのだな…。心の底から そう感じたのを機に、関東へ通うことを辞めようと思った。不思議なことに そう決めただけで、ワークショップの依頼も来なくなった。出張で講師として招かれる=格好いいと思っていたのだが、その憧れを放棄した瞬間だった。


関東で自分の存在感が薄れ、どんどん忘れられてゆくのは寂しかったけれど。それと比例するように、関西で仲間が増えてゆく。


ちょうどその頃だったのか、定かでないものの。大阪に出てくるキッカケとなったメンターから、ある晩、電話で鍵を刺された。「うちで出会ったメンバーと付き合わないで欲しい」と。

大阪に出てきて、そのメンターの活動拠点に入り浸って お手伝いしてきた私は、結婚を機に距離をおいていたものの。基本的に関西での仲間は、そこで出会った人たちばかりだった。そして、そのことも知っているはず…。


つまり、そこで出会ったメンバーと会えないとなると、大阪では孤高な一匹狼である。そういう拘りなんて一見なさそうなのに、こんなことを言う人だったのね… と(勝手に)大きなショックを受けた。

まぁ、似たような「生きかたの探究」について発信している以上、客観的に考えると、彼のお客さんを 横取りするような行為だったのかもしれない。


その頃、継続的な仕事はしておらず、ごくたまに 仲間とコラボのワークショップを開催する程度。しかも単発で。だから、お客さん奪っている気持ちは微塵もなく、ただ仲間と遊んでいる意識だったけれど。でも。気持ちは分からなくもない。


心では悲しく寂しかったけれど、頭では理解できた。別に言われたことを守る義務もないし、人はモノじゃないのだから。誰が誰と遊ぼうと 自由だろうと思う反面、言いたいことも よく分かった。分かってしまった以上、ゴリ押しする道理もないし、それもそれで心苦しいから。


結果的に、そこで出会った仲間に執着することを辞め、関東圏の仲間を 大切に付き合い続けることからも降りた。

気がついたら、どちらの仲間でもない新しい繋がりが増えていた。今ではもう、 たとえ関東で 企画を立ててくれる友人がいても、ほぼ無名の私には まったく人が集まらない。笑ってしまうくらい顕著だ。


心の中で執着を手放したお陰で、新しい世界が開けた感覚。結果的には、必要なプロセスだったと思う。


こうやって、その時には痛みを伴っても、必ず次の世界が展開する。そのメンターだって、嫌がらせで言ったのでなく、言わされただけなのかもしれない。人と人は、いろんな役割を互いに演じ、演じさせられているから。


前置きが長くなってしまったので、ゴチコンの話は続編で。


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