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「考える」ことを考える

考えるを考える

1 速くなる社会のスピード
 「社会のスピード」は年々加速しています。
 情報社会の現在、昔とは比べてはるかに「すぐに情報が手に入る」時代になったということです。

 調べたいと思ったことはすぐに携帯電話やインターネットで調べることができます。行きたいお店の場所を知らなくても、携帯電話を頼りに、場所も電話番号もすぐに検索でき、道案内をもしてくれます。

「すぐに」という点で言うとファーストフードやコンビニ、インターネットショッピングなど生活場面のあらゆるところに効率さを求めたサービスが広がってきています。

 それにより、私たちは「すぐに」結果が起きないことに対して「イライラしてしまう」という行動が増えたのではないかということです。


 Wi-Fiがつながらず、検索に時間が掛かるとイライラ…。

 お店で注文した品物が「すぐに」出てこないとイライラ…。


 以前は、結果が出るまでの過程(プロセス)に時間や手間暇が掛かることが当たり前であり、そこにも価値をもっと見出していたように感じます。


 飲食店の厨房で大将が一生懸命に作っている様子を見ながら出てくる料理を楽しみにしたり、注文していた商品が届くのを今か今かと待ち望んだりしていた昔とは違い、現代の社会においては「すぐに」できないことに関して無意識のうちに「イライラ」してしまう傾向にあるのかもしれません。


2 子どもたちにも求めてしまうスピードのある結果
 子どもたちの成長は一人一人様々です。障害や特性のある子どもたちはなおさらゆっくり成長していくこともあります。

 「すぐにできない」ことへ意識が向いてしまうと、「できさせよう」としてしまったり、できないこと自体へのイライラの気持ちが出てしまったりするかもしれません。

 そうなってしまっては子どもたちの小さなゆっくりとした温かい成長のプロセス(変化)に気付くことができなくなってしまう危険性があります。

 社会のスピードは上がっても人の成長が一気に速まるわけではありません。無意識のうちに「すぐに」結果を求めることになっているかもしれない危険性を意識しつつ、どっしりとゆっくりとそしてじっくりと成長の過程を見守りたいものです。

3 じっくりと「考える」
 スピードが速くなっている社会の影響を受け、私たちは「考える」こと自体も簡略化しているかもしれません。

 考えるとは「自分の中にあるデータ(知識)と自分の外にあるデータ(情報)を加工して結論を出すこと」と言えます。

(※伊藤洋『1分で話せ』(SBCreative)より)


 自分の中に知識(専門性)がないと子どもたちの成長の変化に気付けないだけでなく、適切な指導支援の方法を行うことができません。

 経験論、感情論、根性論だけで指導にあたってしまう可能性があります。また、自分の外の情報(子どもの姿)を適切に捉えることができなければ、知識だけを押し付けてしまうことになります。

 何よりもひとまず結論を出さなければ悩むだけで、その場しのぎの対応や後手の対応になってしまうかもしれません。知識と情報を適切に組み合わせて結論を出しそして試してみる。試した様子(情報)からまた知識を組み合わせてさらなる結論を出す。


 このように自分の中の知識と自分の外にある情報を加工して結論を出すという「考える」作業は、社会のスピードが速くなっても省略することなくじっくりと取り組みたいものです。


(参考文献等)
・伊藤洋『1分で話せ』(SBCreative)

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