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「個」を大切にするからこそ「集団」が育まれる

個の学びで集団を育む


1 誰もが分かる・できる・楽しむ
 子どもたちが人生の主人公として生きていくこと、学びの主体者として学び続けること、これらはどの子にも大切にされていることです。


 今、振り返ると、特殊教育の時代には、障害特性のある子どもたちは通常の学級ではなく、特殊な教育を受ける対象でした。それ以前には就学すら「猶予」されていた時代です。

 特別支援教育に変わり、障害のある子どもたちが障害のない子どもたちと「同じように」教育を受けることができるようになったものの、そもそも「同じように」教育を受けること自体、ふさわしいのかどうかも疑問です。
世界ではすでに多様性を認め合える社会を目指しています。

 「障害のある子どもと障害のない子どもが・・・」とか「障害の有無に関係なく・・・」という枕詞ではなく、「誰もが」という枕詞が今の社会に適応しているといえるでしょう。


「誰もが分かる」ためには、どのような工夫をしたらよいのか、どのような手段を選べばいいのか、授業改善や本質を問う必要があります。

 教師や支援者側に改善、工夫の目的・目標があり、分からないことは子どもたちの責任ではありません。


 これからの社会を生きていく子どもたちの「誰もが」大切にされるとは、どのような社会なのだろうかと考えることが理想論ではなくようやく現実的に語れる時代になってきたと実感しています。


2 少人数だからこそ輝ける子どもたち
 子どもたち一人一人が大切にされるには、個々の違いを認め合える集団が重要だと感じます。


 自分自身の存在を自分で認めることができるからこそ、他者の存在も尊重することができます。他者との比較で自分自身を肯定するのではなく、自分の成長や自分の価値観を堂々と語れるコミュニティがあることが大切です。 

 特別支援学級や特別支援学校は、社会全体から見たら少数の枠組みです。しかし、少数だから間違っているわけではありませんし、弱者や困難者なわけでもありません。みんなとは「違う」からという理由だけで、はじかれてしまうような環境の中ではきっと息苦しいことでしょう。


 対人関係の困難さや集団行動の難しさは、障害特性や状況、環境などの相互作用で表面的に表れる事象に過ぎません。障害特性があるから対人関係が難しいわけでも集団行動が苦手なわけではありません。


 一人一人の学び方の違い、発達段階、凸凹をマイナスに捉えるのではなく、ポジティブに発信していくことが重要です。


 特別支援学級や特別支援学校での学びはまさに、少人数だからこそ輝ける子どもたちの場であり、「集団で学ぶことができない子が来る」というような場ではありません。


3 個の尊重とゆるやかなつながり
 近年、「個に応じて」や「個別最適化」などのキーワードが多く見られます。特別支援教育に携わる先生方は、きっと個別的に対応した学習形態や学級経営をすでに試行錯誤されてきたと思います。

 しかし、個別的に対応することの意義や本質が問われないまま「個別化」が進む怖さも感じます。


 決して「できない子に個別に対応しているわけではない」からです。


 本来、一人一人の学びが大切にされ、尊重される子どもたちだからこそ、他者とのゆるやかなつながりももてます。授業が「分かる子」だけでつくられてしまうと、分からない子どもたちはすぐに置いていかれます。個々の存在と学びを尊重しつつ、共に生きていく仲間とのつながりを意識した工夫が必要です。


 「誰もが」よりよく学ぶためには、私たち教師が教えたいことを子どもたちの学びたいことへ変換すること。


 「誰もが」よりよく生きていくためには、これまでの「個別」を問い直し、これからの社会を生きていくための「個」と「集団」の在り方を考えていきたいものです。


 もはや個と集団という二者択一的なものではなく、「個は集団」であり、「集団は個」であると言えるでしょう。


【参考文献】
・リヒテルズ直子著『オランダの個別教育はなぜ成功したのか』(平凡社)

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