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【それゆけ!凸凹ママ日記】プーさんの青雲(あおくも…某お線香のCMではありませんのよ悪しからず)と万葉ロマンと

おざます。5時間睡眠。昨夜はほこほこと眠り熱を発する子ども達に挟まれて寝るのがあんまりにも暑くて抜け出してソファーで涼んでいたらそのまま寝たんだけど、やっぱりソファーで寝るのは身体に良くないな。綿がヘタってきてすごい奥に向かって傾いてるし…コレって重力で骨盤歪むんじゃ…以後気をつけよう(^^;;

さて最近色々と思うことあって自分でも自覚があるんだけど妙に暗い投稿が多かったもんで…なんせ自粛でなかなか音楽イベントもできずだし世間は暗いニュースが多いし…まぁ音楽イベントに関しては昨日も友人が三密を避けた沼の横で個人フェスをやっていたからできないというのは甘えに過ぎないんだなと改めて自覚したけど…今朝は明るい話題を書こうかなと思います。

なあんて勿体つけたけど実態は昨日友人に宛てたコメントの焼き直しなんだな🤣そしてまたもや和歌ネタです。

好きなものってズンズン書けるなぁと久しぶりに書いていてめっちゃ楽しかったのです。読んでて楽しいかは分からぬけれど、書いててすごく楽しかったからお裾分け、という企画投稿です。

友人とSNSを通じて日常の中でふと想起された和歌を連想ゲーム的に贈り合うという楽しいやりとりを細々とやっていまして…昨夜しばらくぶりに先方から和歌を振られたので返歌を贈ったのです。

友人から頂いた和歌はコレ。

桜花 夢か現か 白雲の 絶えてつれなき 峰の春風
(新古今・藤原家隆)

季節とかは別に良いんですなんでも。日常の中の連想ゲームなので。この時は友人のコメントによれば雲からの着想でした。

なので私も雲つながりで返歌をば✨以下しばらくはそのコメ欄のコピペ(一部抜粋)です。

雲といえば万葉集の出番ですね❣️(そんな決まりは無い)

花鳥風月の中でも特に素朴な雲のありようは、平安朝より万葉人(びと)に軍配が上がります。勝ち負けではないんだけど🤣

てなわけで万葉集から、絞りきれなかったので2首❣️空雲愛好家だけに雲には思い入れがありまして。

青山の嶺の白雲朝に日に常に見れどもめづらし我が君(湯原王)

北山にたなびく雲の青雲の星離(さか)り行き月も離(さか)りて
(持統天皇)

本当は歌としては持統天皇の「北山に〜」が一歩抜きん出て好きなんですけど、挽歌なので単発で贈るには不吉かなぁと思って(その考え方自体が失礼かもすみません)めでたい歌で不吉感を帳消しにしました❣️(そういうもの?)もちろん湯原王の歌も晴れ晴れと(ここは万葉っぽくはろばろと書きたい気もする)心地よく、心情に共感もできて好きですよ、ちゃんと選んでの2首ですよ!(謎の強調)

上の湯原王は単純に読むと愛妻自慢か?という惚気歌ですね。そのまんまなので特に解説は要らないですねぇ。自分の持ち物?(才能でも家族でも恋人でも)を素直に褒められる人は幸せな人です。

謙虚さって日本だと美徳みたいに言われますけれど、身近な者や自分自身を貶すのはよろしくないなぁ、と常々思います。

日常生活で埋もれてしまう身近な人や物への愛情を再発見できる人は幸せです。私も毎朝眺めていますが雲を見ていて飽きることはありません。お金のかからない趣味です、空雲観察。

そして今回の本命持統サマ!!「北山に」です。

百人一首で有名な「春すぎて」もキッパリした明るさと、てふてふの音の響きが実に好きですが、こちらは一転哀愁があって好きです。

普段明るい人の哀愁って心に響きますよね。(持統天皇のお人柄をそこまで知っているわけではありませんが)

そもそも歌の出来不出来に関わらず、青雲(あおくも)っていう雲が数ある和歌に詠まれた雲の中で一番好きなんです。

雲といえば青、という事で一首目の湯原王も青が出てきたわけですが、やはり青い空に浮かぶ雲って良いですよね✨

この持統天皇の歌の良さは、やはり万葉仮名ということで原文で楽しむとより楽しさが倍増します。(そして何故か中国語読みをしたくなる)

向南山 陳雲之 青雲之 星離去 月矣離而

「北山に」の原文は「向南山」なんですねぇ。これで「きたやまに」と読ませるのが例えようもなくオシャレです。果たして持統天皇が本当にキタヤマニと発声したかどうかは確かめようもありませんが。※向南山で神山(かむやま)とか神奈備山(かむなみさん)とする説もあります

こういう遊び心のようなものがいっぱい散りばめられているのが和歌の面白いところです。元祖深読みヲタクの宝庫です✨

現代なら「作品に書かれてないことを勝手に妄想して垂れ流さないでください」と原作自警団に取り締まられてしまいそうなものですが(深読みこそが文章を読むときの楽しみなのに)…

平安や鎌倉や江戸の和歌愛好家たちがああでもないこうでもないと勝手に深読みしながら真剣に議論して万葉の歌を現代まで伝えてきたんだなぁと思うとそれもまたロマンです。

万葉は化石発掘のようなロマンがいっぱいで楽しいです。たなびく雲が「陳雲」という表記なのもまたスッキリしていて骨太で万葉らしいですよね。(共感の強制)

この歌と一緒に詠まれた兄弟歌とされる

燃ゆる火も取りて包みて袋には入ると言はずやも智男雲

の「智男雲」に至ってはどんな雲なのか読み方すら不明らしく、(私は勝手にチナギグモと名付けて呼んでいますが)入道雲のカッコイイやつを見るたびに「これが智男雲か?コイツがそうか?」と妄想たくましく遊ぶのに役立っています。

※智男雲は知日男雲の誤字で書き下してシルトイハナクモ(知ると言はなくも)とする説や、智の前の面も含んで面知男雲の誤字でアハムヒヲクモ(逢はむ日招(を)くも)とする説もあります。私は単純に亡くなった天武天皇を思わせる男らしい雲が出ていた、と読むのが好きですが、おそらく万葉和歌的な解釈としてはこの雲を空の雲として受け取るのは間違いでしょう。でも良いのです。存在しない「智男雲」を空を眺めて想像するのが私の中のロマンだから✨

わからないことが多いのがまさに化石発掘❣️その辺を色々と想像すると楽しさいっぱい夢いっぱいです✨

この辺を掘り下げると1万字くらい書いてしまうのでもうホントにこの辺で。毎度長くてすんまへん(^^;;

どうでも良い追伸・春は古今集、夏は万葉集、秋は新古今の和歌が好きなんです私。冬はなんじゃろな。

と、コメ欄はここまでなんですが、この場では自分の投稿なのでこのままさらに続けさせていただきます✨うふ✨

そうは言っても朝の時間もそうそう無いのでもう少しだけ…ドラゴンボールで言うところの「あともうちっとだけ続くんじゃ」と亀仙人が言って、思った以上に結構続いたアレです。

で「北山に」の和歌に関連した続き…

そもそもこの解説?を書いていてすごく感じたのが「わたし和歌人としての持統天皇がちょっと結構好きかも」ということ。 (修辞句の氾濫)

まず幼名の「うののさらら」という名前が良い。※ガチです。漢字表記は鸕野讚良…むずかしすぎて書けない🤣

新作シャンプーとかリンスとかトリートメントにぜひ名付けて欲しいこのサラサラ感。なんならそのまま芸能界デビューできるんじゃないかというインパクトと素敵さを兼ね揃えたステキラキラネームです✨(※褒めてます)

持統天皇は後年自分の息子に皇位を継承させんと出来の良い甥っ子?を謀殺したり色々やっちゃうんですけれども、「さららちゃんなら許せる」と思わせるほどの名前パワーがあります。それほどのパワーネームです。

万葉の頃って面白い名前が多くて登場人物を並べるだけでも楽しいです。誰しも大化改新を歴史で学んだときに「蘇我入鹿」でイルカ=ドルフィンを想起したと思いますが(想起しない人もいたかもしれませんが)、稗田のアレとか(日本書紀編纂の頃に登場した日本の民話?古事記を全部口伝で丸暗記のすごいアレな人よ稗田阿礼)…藤原不比等(ふひと)も変わった名前よなぁ。

万葉人(まんようびと)には日本語にはない名前の趣があって面白い。そう考えるとやはり渡来系なのかな…当時の名前ランキングでは持統天皇の親戚?の「塩焼皇子」(しおやきおうじ)が美味しい朝ごはんを想起させて個人的にとても好きです✨陰謀疑惑で流刑になり失脚しちゃった人だけど。

さてなかなか和歌の話に戻ってこないんだけど
さららちゃんこと持統天皇の歌で、北山にの他にまだ抜きん出て好きなのが2つほどあるので一個ずつご紹介します。まずはひとつ目。

いなと言へど強ふる(しふる)志斐(しひ)のが強語(しひかたり)このごろ聞かずて我恋ひにけり

口うるさい教育係のしひ婆さんが最近小言を言わなくなり、それはそれで寂しい。

さららちゃん実に現代っ子🤣私もすごく覚えがあるのデスこの感覚…ものすごく口うるさい人が身近にいなくなるとぽっかりその人のスペースが心に開いて妙に寂しい…元気にしているのかなぁ、と人恋しく思ってしまう。

この「しh」(しふる・しひ・しひかたり)の繰り返しが歯切れ良くパワーがあってすこぶる良いですね。私の作詞する歌もそうですが、万葉人特に持統天皇はフレーズの繰り返しが好きですね。私も大好物です。

現代文ならWordの文字校正機能に引っかかるほどの執拗な「の」の繰り返しとか🤣「北山に」でもその片鱗が見えますが、「たなびく雲の青雲の」の、湯原王の歌の「朝に日に常に」の「に」の連続あたりとか最高ですね✨(ニッチな嗜好)

こうした律動主義とも言える単調な繰り返しは新古今和歌集の頃になるとあまり見られないのですが、万葉の頃は同じ助詞の畳み掛けが「佳し」とされた気風を感じます。これは単純に同じ音の繰り返しが気持ちの良いリズムを生むからではないかと思います。万葉人は現代でいうラッパーなのかな。ヘイYHOO!という🤣

時代が下って新古今和歌集の頃になると「幽玄」に加えて「物語性」なんてものまで追求され始めるので音のリズムの優先順位は下がるのです。それに対して和歌の創世記たる万葉の頃はもっと単純で写実的で素朴でリズミカルで…そんな万葉和歌が結構好きです。

持統天皇の好きな歌もう一首。こちらは短歌ではなく長歌(ながうた)になります。

天皇の崩かむあがりませる時、大后の御作つくりたまふ歌一首

やすみしし 我が大君の 夕されば 見めしたまふらし 明け来れば 問ひたまふらし 神岳(かみをか)の 山の黄葉(もみち)を 今日もかも 問ひたまはまし 明日もかも 見めしたまはまし その山を 振り放(さ)け見つつ 夕されば あやに悲しみ 明け来れば うらさび暮らし 荒たへの 衣の袖は 乾(ひ)る時もなし
(万2-159)

もうね、冒頭の「やすみしし」が好きすぎる。「北山に」と同じく天武天皇崩御の時の歌です。

短歌よりも伸び伸びと?徒然なるままに故人への愛惜を歌ってる気がして、こちらの長歌の方がさららちゃんらしくて好きです。

「日常のふとした瞬間に「もうモミジは色づいただろうか」とあなたが聞いてきそうに思う」なんて今も昔も故人を偲ぶ気持ちは変わらずリアルだなぁと思います。

私もいつか誰かとても身近で大切な人が亡くなって心が張り裂けそうになったら「やすみしし」と思おう、と密かに思っている歌です。死に対して「やすみしし」というのはなんて平らかで円やかな響きだろう。千年を超えてきた歌というのはそれだけでパワーをもらえる気がする…そんな風に思う好きな歌なのです。

※「やすみしし」は大君にかかる枕詞で漢字で書くと「八隅知し」。枕詞なのでかの有名な「垂乳根の母」と同じく直接の意味は無いに等しいんだけど、世の中の隅々まで知っている、統治している、偉大な、といった感じ。

私はもともとこの「やすみ」を「休み」だと勘違いしていて、「やすみしし」が崩御したことを指しているのだと思っていた。今回noteで取り上げたことで色々確認して長年の誤解が解けて(古文の試験は直感とフィーリングで説いてなんとかなるタイプだったので品詞とか単語ごとの意味とかちゃんと勉強していない)、私にとっての「やすみしし」は「北山に」の歌とともに、偉大な方が亡くなったことを円やかに伝える言葉としてとても強く残っている。誤解だったんだけどね🤣

その後さらに追跡して色々と確認してみたら、本当の天皇崩御を意味する言葉は「崩(かむあがりま)しし」でした。なんちう長い読み仮名だ!!とたいへん驚きました。私の中の読み仮名長さランキング暫定第1位です🤣こうして色々間違えたり直したり確認したりしているうちに、どんどんニッチな古語トリビアが私の中に蓄積されていくわけです🤣楽しいなっ❣️

わーーーもう起きなきゃ!ではでは!!ちゃおちゅーる!

#今回はちゃんと写真URLを取りに行くのに先に保存しときました 。(前回それでまるっと書いた記事が消えたので)
https://twitter.com/kirakiramamama/status/1265805653081088000?s=21

そうそう、このリンク先のウキウキしたプーさんにしか見えない雲を暫定で私の中の「智男雲」にしようかなと思います。ちょっと天武天皇を偲ぶにはアレな雲だけど超レアな雲なのでなんか特別な名前を付けたいただそれだけ🤣

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