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登校拒否第一号。

おばあちゃんが私の人生に「看護婦さん」というレールを敷きました。それはなぜかというと、私が中学1年生の2学期から、卒業するその日まで、完全なる登校拒否だったからです。

自分の人生を語る時、まず何から話そうかなと考えると、いちばんはじめに出て来るのがこの話題。

登校拒否って、なに?

またまたコトバンクさんに教わってみましょう。

登校拒否【とうこうきょひ】

心理的な理由によって子どもが登校を拒むこと。不登校,学校不適応とも。文部省では,学校ぎらいを理由に年間50日以上欠席した児童生徒を登校拒否児と定義している。登校拒否は1980年代から現在に至るまで年々増加してきている。

ここに1980年代から年々増加してきていると書かれている通り、現代には登校拒否・不登校の子どもが沢山います。2013年度の小中学生に至っては、12万人だそうですよ。

12万人いると、ひとつの学校・学年・クラスに何人くらいいるものなんですかね?結構、みなさんの身近にいるんじゃないですか?

いちばん近いのは「自分の家族」が登校拒否パターン。友達の子どもだったり親戚の子どもだったりマンションの中の誰々さんとか、1年生の時に同じクラスだったあの子とか、色々思い浮かぶかもしれません。

12万人もいれば、市民権を得ていますよね、登校拒否。今ではサドベリースクールなんかも増えて、学校に行かなくてもいい生き方が応援されています。私の場合は違ったけど、不登校の原因がいじめだったりすると、自死を選ぶ悲しい子どもも増えてしまい、社会が動かざるを得なくなっています。

登校拒否児ができるまでの過程(私の場合)。

「登校拒否の症状」って説明書に出てきそうなテンプレートなパターンから始まりました。

親的観点から見てみるとこんな感じではないでしょうか。

発熱(風邪かしら?)▶︎ちょっと学校お休みしましょう▶︎あら、熱が下がったから明日から学校行けるんじゃない?▶︎朝になるとお腹が痛い▶︎学校行かない・行けない▶︎どんどん休む長さが伸びてくる▶︎どうしたの、学校行かないの?行きたくないの?▶︎いじめられてるのかしら?どこが具合が悪いのかしら?▶︎色々調べたけどどうやらそうではないらしい。学校行ってほしい。

親(特に母親)は、とても悩んだと思います。自分の育て方が悪かったんじゃないかと自分を責めただろうし、父方の祖父母からもそのように言われた事があったようです。母のこの時の苦しみは、後になってから知りました。その時は気付けなかったんです。子どもだったなと思ってます。

自分自身でもなんで学校に行けないのか分かりませんでした。(私の場合、いじめられたわけではなかったです。)

なんだか学校に行きたくなくなって、学校に行こうとするとお腹がいたくなったり、頭がいたくなったり、熱が出たりする。

ここから先は戦いです。

どうにかして学校に行ってもらいたい親 VS どうにかして学校に行かなくていいようにしたい子ども

朝、体調が悪くてぐずぐずしてる。

昼、なんだか体調が良くなってくる。

夕方、楽しそうに過ごしてる。

夜、これなら明日から学校に行けるんじゃないかと期待する。

翌朝、やっぱり行けない。一体どうしたんだろう、何が悪いんだろう、どうしたらいいんだろう。エンドレス。

登校拒否第一号だから、手本がない。

今でも一番乗りとか大好きなんですけど、登校拒否も、通っていた中学校の第一号でした。

担任の先生から、学年主任から、副校長まで、いろんな先生が家に様子を見に来ました。

だからって、行けるようになるものでもありません。

先生達も、病気でもないのに学校に来れない子どもに接するのは初めてだったから、全員、どうしたらいいか分からない。テレビドラマとか、小説とか、そんな別世界の話だったことが目の前に現れたから、すごく困ってました。



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