見出し画像

何気ない、かけがえない

毎月、給料日よりもなによりも、その月のいちばんはじめの日、すなわち一日(ついたち)が待ち遠しくて仕方ない。

クレジットカードの締め日は月末で、月が変われば支払額は一度リセットされる。
アナログ人間なためクレジットカードをばんばん使うのは未だに怖くて、毎月カードで使えるのは〇〇円まで、と自分で制限を決めているのだけど、その制限も一旦リセットされる。

なので、日付が31日あるいは30日から1日に変わった瞬間に、さあさあなんでも買ってしまいますよと、気が大きくなってしまうのです。
そして、ここ最近いちばんネット通販で買ってしまうのが、本。

本屋さんをあてもなく彷徨って出会い、買いたてほやほやの本を抱えて帰る幸せもよく知っている。
でも、買おうと決めてストックしていた本をAmazonの買い物カートにどさっといれて決済、届くまでわくわくしながら待つのも、サンタさんを待つクリスマスの夜みたいに楽しいのだ。
郵便うけに茶色くてすこし厚みのある封筒をみつけると、おっ、きたきた!と胸が高鳴る。

昨日そんなふうに届いたのは、吉本ばななさんの「TUGUMI」だった。

画像1

装画がとても綺麗で、いつか読んでみたいなと思い続けていた本だった。

病弱で、その整った容姿からは想像がつかないほど生意気で、凄まじいエネルギーを持つ少女・つぐみ。
彼女と生まれ育った海辺の町へ帰省した夏の夜、"私"とつぐみは、ふるさとの最後のひと夏をともにすごす少年に出会う。
かけがえのない、淡く瑞々しい夏の日々を切り取った物語だった。

私たちはいろんなものを見て育つ。
そして、刻々と変わってゆく。そのことをいろんな形で、くりかえし思い知りながら、先へ進んでゆく。それでも留めたいものがあるとしたらそれは、今夜だった。そこいら中が、これ以上何もいらないくらいに、小さくて静かな幸福に満ちていた。

お祭りの夜、打ち上げ花火を待ちながらすいかを頬張るシーンでの描写。
この文章だけで、彼らが作中で過ごしている時間が、どれだけ輝かしく、そしてどんなに願ってももう二度と手に入らないひとときであるかを思い知らされた。
ページをめくるたび、眩しくて宝物のような夏が香った。

✳︎

素敵な本や映画に出会った時、いつも私は「ああ、今このタイミングで出会うことができてよかったなぁ」と思っていた。
すべてのタイミングは、偶然ではなくて運命だ。
今、この年、この季節、今日、この瞬間にこの本に出会えたことに、必ず意味があると信じていた。

でもこの本に関しては、「もう少し、早く出会っていたかったなあ」と思ってしまったのだ。

作中の登場人物たちは、この夏がもう二度と戻らないことも、戻らないと分かっていても留めたいと思う夜があることも、そんな夜はささやかで何気ないくせにとてつもなく幸福なものであるということも、ちゃんと知っていた。
花火を待つその時間を、スイカの淡く薄い味を、その夜を、大切に噛み締めていた。
彼女たちと同じくらいの歳の頃の私は、そんなこと知らなかった気がする。

27歳の私じゃなくて、20歳の私がこの本と出会っていたら。
今の私が取り戻したいと願うあのときの思い出や日々のことを、もっと大切に味わうことができたのかもしれない。

何気なく適当に過ごした過去の日々が、とても恋しくて、愛おしい。
当時の自分は、その瞬間を未来の私がこんなにも大切に思うことになるとは思わなかっただろうな。

もっとありがたがって、大切に味わっておけばよかった、悔しいなぁ。
でも、こんな悔しさを味わえたことも含めて、やっぱり今日この本を読めたことには意味があったのかもな、とも思うのです。

ぼやぼやしているうちに、あまりにもささやかで大切な日々が過ぎ去っていることもあるんだぞと、心に留めておきたい。
わかっているつもりでもたまに忘れてしまう大切なことを思い出した、そんな夜なのでした。


明日もおやすみだ!嬉しい!

頂いたサポートは、いつの日かのフィンランド旅行の資金にさせていただきます!🇫🇮