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意識はどこから来るのか?

コンピュータは意識を持たない

 AIが発達するとコンピュータが意識を持つと言われるシンギュラリティ。
 30年以上前、またパソコンの能力が貧弱であった頃、私はこう考えていました。

 「コンピュータの性能がもっと向上して、人間の赤ちゃんと同じように育てたら、コンピュータも人間のようになるんじゃないだろうか?」

 コンピュータの性能が上がり、与える情報も一人の人間では処理しきれないぐらい与えた現代でも、コンピュータが人間のように意識をもつことはありません。

 「それじゃあ、人間の意識はどこから生まれるのだろう?」

 これが今回の出発点でした。

記憶は脳にあるのか?

 人間の脳の動きを模倣して作られたディープラーニング。その延長で考えると、記憶が脳に収まるのかが疑問になります。
 人の記憶は映像データです。その時の場面や会話、匂いや味が記憶されています。記憶が文字情報で残っている人などいるのでしょうか?
 映像データは文字データに比べて容量が膨大になります。
 仮に脳が記憶媒体と仮定して、その記録可能な容量を推測する場合、ニューロンや神経細胞をビットに置き換えて換算しても大した量になりません。対してコンピュータは、インターネット上の無限のデータにアクセスできるので、人間の脳と比較にならない情報量を持っています。
 情報量の多さが意識の芽生えとは関係ないようです。

コンピュータを分解する

 ここで一旦コンピュータの構造を考えます。
 パソコンを例にして、その構造を分解する以下のようになります。

  • 中央処理装置(CPU,OS(Windowsなど))

  • 記録装置(ハードディスク、SSD、メモリーなど)

  • 入力装置(キーボード、マウス、マイク、カメラなど)

  • 出力装置(ディスプレイ、スピーカー、プリンタなど)

パソコンで作業をするとき、キーボートやマウスを使って入力します。パソコンで処理された結果はディスプレイやスピーカーで出力されてきます。処理のためにメモリーに一時保管したり、ハードディスクに記録を保存します。これらの入力、出力、記録の間を取り持っているのがCPUやOSです。

人間に置き換えて考える

 パソコンの構造を人間に置き換えてみます。

  • 入力装置  目、耳、鼻、口、皮膚

  • 出力装置  口(声)、手(筆記)、体

  • 中央処理装置 脳

  • 記憶装置  保留

 人間の構造も単純化すると入力と出力が表面に見える部分で、それらの間をOSのように取り持っているのが脳になります。記憶装置については一旦保留します。
 脳がOSとして働く場合、体が受けた刺激を感知します。何かを出力しようとしたときは、体の部位を動かします。ここに関しては脳波や微弱電流を感知して義手を動かす研究などから、電気信号で行われていることは解明されています。つまり肉体を使った情報のやりとりは電気信号だということになります。
 記憶についても電気信号で保持されているのかというと、先の疑問から否定されます。脳内のニューロンがSSDのように電気信号を保持して記録しているなら、容量が少なすぎます。
 
 「記憶はどこに保存されているのか?」

 この疑問を考えた時、一つの仮説を立てました。

外部記憶装置としての「魂」

 肉体的構造から記憶容量としての限界を考えた場合、記憶装置は外部にあるのではないか?
 その外部装置は何かと考えた時に、いわゆる「魂」と呼ばれているものではないか?
 というのが、今回の仮説です。

「脳」はインターフェース

 記憶が脳に無いと仮定した場合、脳の役割は何なのでしょうか?
 それは各所からの情報を中継する媒体としての役割、パソコンでいうところのOSとして働いているのではないでしょうか。
 それは体の部位はもちろん、魂についても中継をしており、肉体と魂を繋ぐ役割をしているのではないでしょうか?

意識はどこから来るのか?

 魂が外部記憶であり脳がその媒介を行っているとするなら、意識も魂の中にあるのかも知れません。
 意識と記憶が魂にあり、脳を中継して肉体を動かしているならば、人間の本体はどちらになるのでしょうか?
 人間が入力できるのは肉体を通してであり、人間が出力できるのも肉体を通してでしかできません。その裏で働いている制御を意識してはいないし、ましてや魂との繋がりを感じている訳もありません。
 つまり、脳の構造を分析し膨大な情報を与えたとしても、魂との繋がりが無ければ意識は発生しないので、シンギュラリティは来ないのではないかと考えます。
 逆に魂との繋がりが確立できたならば、世界が大きく変わります。

シンギュラリティは不要

 AIが意識を持つと人間の仕事を奪うのではないかと言われます。
 しかし、今でもほとんどの仕事はAIで置き換えられるのではないのでしょうか?AIが意識を持つまでもなく、人間の仕事は奪われていきます。
 仕事のような定量的なことだけでなく、シンギュラリティが起こらなくても、AIが人間のように振舞うことは可能になります。機械学習がもう少し進み、人との会話が自然にできるようになれば、その相手に意識があるかどうかを気にすることはありません。
 「メタバース」に入ったとき、たくさんのアバターが存在し、様々なアバターと会話をします。
 さて、そのアバターは本当に人間が操作しているのでしょうか?

脳と体と魂

 脳が中継媒体であり、体と魂の仲介をしているとすれば、これまで考えられている障害や病気について新しい見解が見えてきます。

「障害」とは何か?

 人は見た目で判断します。出力がうまくいかないとき、それは「障害」と判断されます。意識や考えははっきりしているのに、しゃべれなかったり文字がかけなかったりすると、その人は考える力も無いのかと判断されます。
スティーブン・ホーキング博士は後天性でALSとなり動けなくなりましたが、先天的にあの姿であった場合に彼のことが天才であると周りは判断できたでしょうか?
 多動性障害が発達障害と言われますが、脳をOSと仮定した場合、行動を抑制しようとする制御機能が働いていないと捉えられます。逆に働けば過集中となり、驚異的な集中力から天才的な閃きを得るかも知れません。
 同じ行動でも一般の社会規範から外れれば「障害」、社会の役に立てば「天才」と言われます。
 どちらも脳の機能の不具合であれば、必要なのは抑制や排除ではなく、サポートや環境づくりにより能力の正しい使い方を導くことではないでしょうか。
 同じように脳と魂の間で不具合を起こしているパターンもあるかも知れません。
 障害や病気について出力されて見える部分だけではなく、その裏で働いている制御まで分析すると、今までと違った目で見えてくるものがあるのではないでしょうか?

初校:2022年9月19日

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