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クリープハイプと。  

時間はあるのにお金はなくて、空きコマができれば自転車を飛ばしてバイト先へ行き、変わり映えのない窓ガラスから見える景色を眺めながら、手に取った商品を右から左へ受け流す日々。

あぁ、このバイトを選んだのは彼氏、いや元彼氏に「親から仕送りしてもらって生活するの恥ずかしくないの?ここのレジ打ちなら夜遅くもならないし、安心だから面接受けてみたら?」って言われたことがきっかけだったな。
何かと思い出すと泣きそうになる。
温かいご飯があるとうれしい。そんな言葉を信じて家に来る時間に合わせてご飯を用意していた。2年後に、「そういうのが重たかったんだよ。」と言われるとも思わずに。

あー、なんにも考えたくないのに、客が来ないせいで余計なことを考えてしまう。今日も、同じ曲ばかり流しやがって。特売日にだけ流れる音楽が妙にリズミカルで不快だ。

「いらっしゃいませ、こんにちはー。」

ようやく客が来たと思ったら、あのばあさんだ。
失礼だとは思うが
「今日はおいくらお持ちですか?」
と尋ねると
「これだけ。」
と言ってくたびれた財布の中を見せてきた。
そこには10円玉が4枚、1円玉が5枚。
「これなら買えますよ。」
本当に失礼だがコロッケを指差して伝えると
「じゃあそれを。」

「ありがとうございました。」

静かに舌打ちした後、素早くレジ休止中を置いて、返品作業を行う。
何のためにこんな毎日を送っているのか。今すぐにこのダサい緑色のエプロンを脱ぎ捨てたい。
脱いだとして捨てたとして、何にもなれないんだけれど。

残り1時間、最低賃金のために働くか。
バックヤードから店内へ。

♪愛してる 今を愛してる
 今を 愛しているのよ ベイベー
 愛してる〜


なんだこの歌声。女の人?男の人?
まあ、いい。あと1時間とにかく働かないと。

黒ずんだエプロンをロッカーにぶちこみ、自転車に乗ってアパートへ。もう、あいつがいないのは分かっているのに、暗い部屋を見るとこんな気持ちになるのが、悔しい。


何気なく開いたパソコンに、今日聴こえたあの言葉を打ち込み検索。

社会の窓/クリープハイプ。



わたしはこうやって、クリープハイプと出会った。
当時のわたしは大学生で、付き合っていた人に浮気され振られ、人生どん底だ。と思って生きていた。きっと何をしても、楽しいとは、幸せだとは感じることなんてできないと、当たり前のようにそう思っていた。

衝撃的な出会いから、10年。つかず離れずで、こうやって一緒に時代を生きてきた。出会った頃は、既に発売されていたCDを買い集めて聴くことに夢中だった。そこからリアルタイムに新曲が聴けることに幸せを感じた。

どうしてもライブに行きたくて、友達を誘い初めて行ったあの日。「クリープハイプは本当に存在するんだ。」なんてよく聞くあの感動を表現する言葉を口にした。

ラジオで聴く彼らの言葉に耳を傾ける深夜。曲に留まらずバンドのメンバー一人ひとりに興味が引かれる。こんな感覚は初めてだった。

曲だけでなく、歌詞だけでなく、この4人に人としての魅力を感じるのは、出会った月日が長くなればなるほどである。実際に会ったこともない相手の人柄について語るのは、おかしな話だけれども。


あのどん底時代(序章に過ぎない)にクリープハイプと出会えたことは、わたしの人生にとって大事な財産。
クリープハイプなくして、人生は語れない。クリープハイプはわたしにとって特別な存在ではあるけれど、もうそれは当たり前。人生がいつまで続くのかを考えたら不安になるけれど、まだ人生を終わらせる予定はないから、クリープハイプとわたしの人生は続く。

もっと書きたいことはたくさんあるけれど、クリープハイプとわたしの10年間の思い出を綴るのはまたの機会に。

(まとまりのない駄文、失礼)

#だからそれはクリープハイプ

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