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パンク・ロック・ララバイ

~あたしが育った街は、あたしを嫌いな街だった~

この街は平凡な感覚が正しく突拍子もない人種を嫌う傾向がある

東京の外れでギリギリ23区の仲間入りをして下町風情を晒そうとしてるが、所詮は田舎者風情の吹き溜まり。

居酒屋で頼んでもいない料理を断らずに平らげ、人のミスを恩恵と勘違いする馬鹿が阿保と言う磁場に吸い寄せられた民度の象徴

遠くの異端を称賛し近くの異質を腫物に触るような白い目で毛嫌う
そんな退屈で居心地の悪い街で、あたしは生まれ育った


母と兄と祖母が家族で父親は物心付く前にいなくなり写真でしか見たことがない。

祖母は変わっていて祖父が亡くなってから祖父が愛煙していた缶ピースを煙草を吸わなかった祖母は吸いだした。
毎日仏壇に祖父へ煙草をあげると一緒に吸っているのは彼女なりの亡き旦那への愛情表現なんだろう。

祖母はブッ飛んだ感覚の持ち主で、祖父が生前、他に女を作れば不倫相手に会いに行って
「うちの旦那をよろしく頼むよ、もし飽きたら別れていいよ。どうせ、あたししか面倒見れないんだ、このボンクラ」

そんな事を平気でやる男前な性格だから、あたしは祖母が憧れの存在だった。


小学生から浮いていて心を開ける友達がいないから下校中はおとなしい小学生のフリから解放された無上の喜びを感じて帰宅していた。
いつもと変わらない下校途中にマンションの壁を見ている女子を発見した。彼女は同じクラスの学校のマドンナ奈津子ちゃんだ。

何事もなく通り過ぎようとすると名前を呼ばれて、仕方なく奈津子ちゃんの隣に行くと「これ、凄くない?」と奈津子ちゃんはマンションの壁に張られた紙を指さした。
紙には「犬のウンコは持ち帰れ、飼うなら拾え、拾わないならペットもオマエも殺処分」と書かれていた。

メッセージ性の強すぎるキャッチコピーに度肝を抜かれ、それを見つけた奈津子ちゃんの感性に、あたしは痺れた。

それから奈津子ちゃんとは仲良くなり学校の帰り道に近くのマンションやアパートのマナーの悪い犬の飼い主に対するメッセージを見つけては、二人で吟味して評価を付け一種の評論家みたいになってた。手書きで文字から伝わるエネルギーを感じる作品を高評価し業者に頼んだ読みやすくて味気ない物は芸術性が無いとか情熱を感じないと酷評し、金に物を言わせて楽をしている管理人やオーナーをダメ出ししていた。

小学生らしくない馬鹿な行為を二人でしている時が最高な生きがいにも思え、二人だけの禁じられた遊びをしている優越感に浸っていた。


中学生になると奈津子ちゃんは増々綺麗になり、あたしとは真逆の社交性の良さも相まって学校での人気者になり隣の小学校から来た男子や先輩からもチヤホヤされ告白や手紙をもらうなんて日常茶飯事だった。学校内でのあたしとの距離感は小学校以上に離れたが、あたしは気にしなかった。

たまに、あたしみたいな変わり者に好意を寄せる男子もいたが「箒の柄をケツの穴に入れたら処女をくれやる」と言えば無言で退散して行った。

二人の学校での立ち位置が雲泥の差でも帰り道は一緒なので二人で帰宅していると奈津子ちゃんが「パンクって知ってる?」と聞いてきた。
パンクと聞いてモヒカンしか思い浮かばなかったあたしに奈津子ちゃんは一枚のCDを渡して聴いた感想を明日聞かせてとお願いされた。
渡されたCDはスターリンのSTOP JAPで家に着いて聴いてみるとなんだか解らないけど体中に電気が走り興奮し、あたしはパンクにやられた。
激しい音に日本語のおどろおどろしい響きが絡んでTVから流れるヒットチャートにはない素敵な汚さが、そこにはあった。

翌日の帰り道には興奮しながら「心の処女膜をスターリンにぶち破られた、今日からあたしはパンクに生きる」と感想より先に決意表明を奈津子ちゃんに告げると思いっきり爆笑された。CDを返そうとすると「そんなに気に入ったなら暫く貸してあげる」と言われ喜びが脳内で絶叫した。

それからパンクがあたしの中でグルグル回り通信速度の遅い自宅のパソコンで洋邦問わずパンクバンドを探し自宅から一番近い図書館でパンクバンドのCDを借りては聴きまくった。あたしはパンク中毒になり奈津子ちゃんは先輩と恋に落ち一緒に帰ることはなくなりSTOP JAPは返せず仕舞いになった


中学一年の夏休み初日に兄の部屋にオブジェとなったエレキギターを蝉の鳴き声をバックに見ていると兄から「弾きたいならやるよ」と言われ
パンク中毒者からパンクロッカーの道へ、あたしの人生は転がっていった。弾けないギターを部屋でジャカジャカ演っているとパンクスの仲間入りを許されたようで嬉しくて嬉しくて初めて嬉し泣きをした。チューナーで調律をして教則本を見ながら練習しても不協和音しかでなくて悩んでいると

兄が「ジミヘンかよっ」て言うので「誰それ」って返すとジミヘンドリックスを教えてくれた。モジャモジャ頭の黒人で縦横無尽に弾きまくる映像を見て「これぐらいクレイジーじゃないとカッコイイ音が出ないんだ」なんて言うと「弦の張り方が逆だよお前は」って左利きを指摘された。

近くの楽器屋に弦を買いに行って弦交換を店員に聞くとギター持って来るなら張り方を指南してくれると言われ弾丸みたいな速さでギターを持ってくると「グレコのSGじゃん渋いな」って言われて褒められた気分になった。グレコは国産の楽器メーカーで昔はアメリカ製が高くて買えない若者がこぞって買ったメーカーらしい。頭の中でパンク=スターリン=日本=グレコなんて方程式が出来上がり、このSGは運命によってあたしの手元に辿り着いたんだと勝手な妄想が爆発した。

夏休みが明けクラスの男子が地元の田村医院という廃病院で夜中に侵入し肝試しをしたって雄弁に語っていたのでグレコのSGが体の一部と化した残暑に田村医院でギターをかき鳴らす計画を立てた。田村医院は猫の白骨死体が転がっているらしく増々あたしの魂の叫び場所にふさわしく思えた。

ギターを背負ってアンプ片手に白昼堂々、田村医院に侵入しアタシのパンク魂を、このクソみたいな街に響かせようとしたが電気が通っておらず虚しいエレキギターの音がシャンシャン鳴るだけだった。馬鹿な女のパンクエピソードが残暑の夕刻に刻まれた。


時は少しだけ経ち地元には小さなタワーが完成し、チンコタワーなんて渾名をつけられてた。
チンコタワー元年、兄は高校生になりアタシは中学二年生になった。中学二回目の夏に兄の高校の友達の一人が我が家に遊びに来るようになり
パンク好きなギター三昧の奇抜なアタシを可愛がってくれて、その流れで仲良くなり、付き合いヴァージンを捧げた。
初めてを捧げた現場はタワーの近くのビルの屋上で、バックで突かれながらチンコタワー見てシャウトしていた。

大人の階段を着実に昇り奈津子ちゃんとは疎遠になり、進路を考える中学三年生になった頃祖母が急死した。
兄は祖母の亡骸の前で祖母が好きだったウイスキーを飲めもしないのにガブ飲みをして泣きじゃくっていた。
あたしは泣くのを我慢した、ここで兄みたいに泣いちゃ祖母みたいな強くて格好いい女になれない気がして唇を噛みしめていた。

母は時折、陰で小粒の涙を女優みたいに零しては親戚の前で気丈に振舞っていた。その様を見ては女の強さを痛感した。


祖母や母の様な強い女に成る為にアタシは地元を離れる決意をした。
高校に進学せず働く道を模索していてどうせなら海外に行こうと思いワーキングホリデーを見つけたが18歳からなので、この案は頓挫した。

母と担任から高校に行けと言われ日本から出たいと言ったら留学を打診されたが我が家の財布事情も考えなければいけないので関東圏を出て地方の寮のある学校を頼んだが母はいい顔をしなかった。

仏壇の前で線香の煙をボンヤリ見ていると母から留学のパンフレットとアタシ名義の通帳を渡された。
祖母は孫二人が生まれてからコツコツ貯めていた定期預金、亡くなる一ヶ月前まで自分の年金の一部を積み立ててくれていた。

アタシは我慢していた悲しみが溢れだし通帳の最後のページの数字が大粒の涙で滲んでいた。

祖母の愛を無下には出来ない、アタシの気持ちは固まった。


少しずつ春が東京の街に色づく頃、疎遠だった奈津子ちゃんにスターリンのCDを返そうとしたら

「あげるよ、そのCDは普通の女が持ってるよりパンクな女の元にいた方が幸せでしょ」なんて逆に返された。

奈津子ちゃんは心身共に粋でいい女に成長していて、卒業式の帰り道は久しぶりに二人で笑いながら涙を浮かべて歩いた。


桜の蕾が大きくなり、もう少しで花は咲き乱れる。

今年の満開の桜を肉眼で見ることは不可能になった。

何故ならアタシは明日この街を出てイギリスに旅立つ、スターリンのCDとグレコのSGと少ない荷物を抱えて。

サヨナラ大嫌いなこの街、次にこの地に足を踏み入れる時には強い女になって帰ってくるからね


"Rock ’n’ Roll..


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