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黒い花の屍櫃(かろうど)・8 長編ミステリー

『黒い花の屍櫃・1』はこちらから

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 十五世紀のアステカでは、人身御供ひとみごくうの生贄として死ぬことは有益な死だと考えられていた。R・Jの儀式とは、神に生贄を捧げることだったのだろうか。

 桐生と璃子が調べ、デスクの赤石が書いた記事は、R・Jへの問い掛けの形で締めくくられていた。翌水曜日は公休日だったが、家でのんびり過ごす気にはなれなかった。溜まった洗濯物を洗濯機に放り込み、ネットでアステカの儀式について書かれた書籍を検索した。『アステカの儀式』というタイトルの本を見つけたが、かなり古い本でどのネットショップでも品切れだった。

 洗い終わった洗濯物をベランダに干し、桐生は近くの図書館へ向かった。『アステカの儀式』はなかったが、代わりに『神、人を喰う』と題された本を見つけた。著者は日本人で、目次には「人身御供」の文字が並んでいる。

 窓際の席に座り、ページをめくった。神への供物として桐生が思い浮かべるのは花や水だが、著者は獣の肉について言及していた。宮城県・銀鏡(しろみ)神社の例祭では数十頭の猪の頭が奉納され、千葉県・香取神社で行われる大饗祭(だいきょうさい)では、聖護院大根の上に飾り付けた鴨羽盛(かもはもり)が供えられるという。鹿の生首や兎の串刺を供物として供えていた地域もあったようだ。

 祈りを叶えるためには、それ相応の犠牲が必要だということか。では、川瀬神父や有沢神父は悪魔を払うことで何を得るのだろう。すでにキリストが人間の罪をあがなったのなら、なぜ生贄が必要なのか。

 前回の悪魔祓いのとき、川瀬はいつでも教会を訪ねていいと言っていた。今週の土曜に悪魔祓いがあるが、その前に川瀬から話を聞いてみようと思い、はたと気づく。教会の場所を篠原真衣から聞きそびれていた。久利生の電話番号ならわかるが、教会の場所を訊くのは躊躇われた。久利生に取り憑いている悪魔が嘘を教えるかもしれない。

 藤田から名刺をもらっていたことを思い出し電話を架けようかと思ったが、それなら直接会いに行こうと決めた。AIEの会員でもある藤田は、人身御供についてどう答えるか興味があった。長山恵里香が殺害されたことは、すでに報道されていた。何か話が聞けるかもしれない。

 手に持っていた『神、人を喰う』を受付で借り、桐生は府中へ向かった。

 藤田が勤務するクリニックは十二時半に午前診療が終わり、三時から午後診療が始まる。二時頃到着を目指し、府中駅前の蕎麦屋へ入った。璃子がいないときは、オートファジーのことは考えない。ざる蕎麦とミニカツ丼を注文し、スマートフォンで『東光新聞とうこうしんぶん・電子版』を読んでいると、画面が切り替わり番号が表示された。着信音が鳴り始める前に席を立ち、『通話』をタップする。

「やあ、斗真とうま君。きみには遺体発見センサーが付いてるって、もっぱらの噂だよ。また見つけちゃったんだってね。今度の仏さんは黒い花に埋もれてたって聞いたけど」

 東光新聞の敏腕記者・高輪省吾たかなわしょうごの声が軽やかに流れ出す。歳は桐生の四つ上で、神出鬼没だ。大きな事件が起こる場所に不思議なほど居合わせる。

「僕は寄せられた情報を確かめに行ってるだけですよ。『FINDER』が引き寄せてるのかな。遺体発見の詳しい経緯は、明日発売の『FINDER』に載ってます」

「ってことは、磁力を持ってるのは鳥居さんかもね。新聞記者ブンヤ時代からスクープを引き寄せてたもんな」

 高輪が電話の向こう側で頷いている様子が目に浮かぶ。鳥居は元・東光新聞の記者で、高輪は鳥居の下でしごかれていたと聞いていた。

「高輪さんは去年から埼玉支部に移ったんですよね? 僕らが第一発見者だって、誰から聞きました?」

 警視庁が記者クラブに出した広報文に、第一発見者の名前は記載されてない。

「ああ、ちょうど奥多摩にいたから、知り合いの刑事の部屋を訪ねたんだ。長くこの仕事してると、いろんなとこに知り合いができるよね」

「それは高輪さんの人徳ですよ」

「うわ、褒めてもらえて嬉しいな。俺はしつこいから相手も参るんだろうね。あ、『sorbet』の記事なら読んでるよ。もしかして斗真君たちが発見した遺体は、オカルトが絡んでるとか?」

 高輪の問いに言葉が詰まる。R・Jの記事は明日『FINDER』に出るが、新聞なら今日の夕刊と明日の朝刊に載せられる。

「悪霊に取り憑かれたって男性、定期的に悪魔祓いを受けてるって記事に書いてあったよね。次はいつ?」

 高輪が言葉を継いだ。

「今週の土曜日に悪魔祓いが行われる予定です。高輪さんは悪魔を信じてますか」

「もちろんそんなものは信じてないよ。たとえこの目で見たとしても信じないね。人間が人間を殺すんだよ。だからその悪魔祓いに行くなら、斗真君も気をつけてよ。以前、俺が取材した悪魔祓いでは、憑依されたっていう少女が亡くなってるからね」

「それは、いつのことですか」

「もう十年くらい経つかな。岩手の最南端に、大籠おおかごっていう集落があってさ。江戸時代にたたら製鉄で栄えたんだ。製鉄の技術者がキリシタンで信者が三万人にも達したんだけど、禁教令の発布から弾圧が始まって、たくさんの信者が殺されたんだよ。いまも刑場跡が残されてる。憑依されたのは、その集落の子だった」

 刑場跡と聞き、ゾクっとした。弾圧されたキリシタンの霊が眠る場所とは、どんなところだろう。不意に倉戸口の廃屋が浮かび、桐生は首を振った。長山恵里香はキリシタンとして殺されたのではない。仮にキリスト教を信仰していたなら、悪魔に取り憑かれることはなかっただろう。

「その悪魔祓いを行なった悪魔祓い師って、もしかして……」

「そう。川瀬神父だよ。日本にいる唯一のエスソシストだからね」

 高輪の言葉に、桐生は声が出なかった。

 府中駅から十五分のはずのクリニックまで三十分掛かった。グーグル・マップが表示する通りに歩いているのに、なぜかマップは「ルートを変更しました」を連呼し始め、道行く人に訊いてやっと辿り着いた。

 花に彩られたエントランスのステップを上がり、ガラスドアを開けた。室内には前回同様にオルゴールの曲が流れている。時刻は二時半で、待合室に人はいない。

 カウンターの向こう側でパソコンのキーを叩いていた受付嬢が顔を上げた。診察は三時からだが、受付はできるという。桐生は名刺を差し出し、藤田に聞きたいことがあって来た旨を伝えた。まだ二十代であろう受付嬢は感じのいい笑顔を浮かべ、内線に繋いでくれた。返事を待っていると、入口右手にある階段から藤田が下りてきた。

「あれ、桐生さん。連絡いただいてましたっけ?」

 藤田はハイゲージのVネックセーターの上に白衣を羽織り、足元は黒の革靴を合わせている。

「いえ、ちょっと藤田先生にお聞きしたいことがあって伺ったんです。少しお時間いただけますか」

「いいですよ。ちょっとコンビニへ行くとこなんです。歩きながらでも構いませんか」

 藤田の返答に桐生は頷き、一緒に外へ出た。

「コートなしで寒くないんですか」

 空はよく晴れているが、風は冷たい。

「平気です。子供の頃は半袖半ズボンで走り回ってました。さすがに半ズボンはもう穿(は)かないですけどね」

 藤田は白衣の裾をはためかせながらステップを下りていく。

「長山恵里香さんが亡くなったことはご存知ですか」

 桐生の問い掛けに、藤田は表情をかげらせた。

「ニュースで見ました。殺人事件として捜査しているそうですね」

「長山さんは藤田先生のクリニックに通っていたと聞きました。付き合っていた男性が事故で亡くなったことで、精神のバランスを崩されていたとか」
「それは、久利生君から訊いたんですか」

 藤田の口調は穏やかで、久利生を咎(とが)めている様子はなかった。

「いえ、久利生君じゃありません。でも、久利生君と長山さんが友人として親しかったとは聞いています。彼が長山さんを『sorbet』に連れて行ったそうですね」

 昼食時だからなのか、すれちがう人もいない。桐生は藤田と横並びに歩いていた。身長は藤田のほうが十センチほど高い。見栄えがよく、授業参観では自慢の父親だろう。

「長山さんがクリニックに通っていたのは三ヶ月ほどです。私は、『sorbet』のようなオカルト同好会に参加するのが悪いことだとは思っていません。現に長山さんにはいい影響をもたらしていました。生きる気力や明るさを取り戻すことができるなら、どんなことにでもチャレンジするべきです」

「藤田先生は、クリスチャンですよね? てっきり『sorbet』には否定的だと思ってました」

 桐生の問い掛けに、藤田は笑みを浮かべた。

「プリンストンにいた頃は、ネオ・シャーマニズムや悪魔崇拝の患者をたくさん診てましたから、否定はしません。何を選ぶかは、個人の自由だと思っています。それに私はクリスチャンではありませんよ。AIEへは精神科医として参加していただけです」

「儀式についてはどうお考えですか。アラスカでは人を生贄として神に捧げていたと聞きました。日本でも人身御供があったようです。悪魔だけでなく、神までが生贄を求めるのはなぜだと思いますか」

「共食のためですよ。神に捧げたあと、彼らはそれを食べるんです。儀式ならその場に参加した者同士の連帯感を高め、彼らが崇拝する神と融合するんですよ」

 コンビニで煙草を買う藤田の横で、桐生はカップのブレンド・コーヒーを二つ買った。店の外で一つを藤田に渡す。藤田は礼を言ってカップを受け取った。

「私たちも一緒に酒を飲んだり食事をすることで時間を共有し、相手をより身近に感じることができます。それと一緒ですよ」

 藤田は旨そうにコーヒーを啜ると、来た道を歩き始めた。


     つづく

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