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mid90s ミッドナインティーズを観た〜いつか終わりが来る思春期の話〜

mid 90sを観た。

90年代のLAで生きる貧困階級の少年たちの映画で、製作会社は今注目のA24。フロリダ・プロジェクトやレディ・バード、ムーンライトを製作した会社だけあり、貧困や家庭問題、明るいだけでない青春の仄暗い側面を映した映画だった。
ちなみにA24は最悪のホラー監督アリ・アスターのヘレディタリー/継承やミッドサマーも出している。あれは家庭問題や青春の揺らぎって括りでいいの……?


mid90sの主人公の少年は母子家庭で、兄から暴力を受け、居場所のない家庭から逃げるように街でスケートボードをする不良少年たちに混じっていく。

認めてほしくて煙草や危ない行為に手を出してみたり、からかい混じりの視線を親愛のサインと思い込もうとしてみたり、自分を仲間に入れてくれた友だちが年上の少年たちに自分の方が目をかけられていると気づいて関係がギスギスしてきたり。

子どもの社会は決して単純じゃなく、大人になれない身体に精神だけが先走っていくような危うい感覚が綺麗な映像と音楽で表現されていく。

どんなに大人の真似事をしようと、煙草を吸った後必死で歯を磨いて服を着替えたり、母や兄に反抗した後自分を罰するように小さな自傷をする主人公は、痛々しいほど子どもだった。


不良少年たちも主人公と同じように貧しく寂しい子どもたちだった。
彼らの非行が見ていて不快でないのは、その場限りの楽しみに興じるその背中に、先の見えない不安から必死で目を背けようとする暗い影が嫌というほど見て取れるからだと思う。

アメリカ映画の青春ものは、何となく日本のものより影が濃い作品が多いような気がする。
大人であることが良しとされ、未成熟で迷いばかり多い思春期への忌避感とか、そういう価値観の差もあるんだろうか。

この映画のキャストは主人公の家族以外が役者ではなく、演技は素人のプロスケートボーダーのティーンエイジャーが使われている。
衣装や小道具は時代背景に合った90年代風のものを使いつつ、現代の青少年をキャスティングしているのも、懐古主義で終わらない雰囲気の所以かもしれない。


時代も思春期も迷っていられたモラトリアムの時間もいつかは終わりが来る。
そのとき、「あの頃はよかった」という過去に囚われるんじゃなく、でも、たまに思い出してどこかで心の支えになるくらいのものがあればいい。
エンディングに流れる仲間のひとりがビデオに収めた、彼らの姿がそうだったように、この映画もそういうものなのかなと思った。

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