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友だちとは、一緒にトイレに行かなくてもいいと思ってる(未来のわたしとの交換日記7.6)

わたしの心の中の「友達と、知り合いの線引き」は、
相手に「トイレに行こう」と誘われて、行かない選択をできる人です。

あくまで相手の話でなく、わたしがそうできるかの話です。


子供じみた話ですが、友だちと知り合い、仲の良い人と知人、まぁ、心を許している人とそうでない人との、線引きは学生の頃からそこまで変わっていないかもしれません。

大人になって、仕事で「知り合い」が増えるなか、友達がそうでないかという感覚はあまり持っていないのですが、心を許しているかそうでないか(この線引きが結局友達なのか?)はあるし、この差は大きいかな?と思っています。


誘われたけど、自分の行きたいタイミングでないからと断れるのが、友達。
誘われたのに、行かなくて、ノリが悪いとかトイレで悪口を言われたくない、なんか言っとかないとめんどくさいので、ついていくのがクラスメイトや知り合い。

自分が行く時は、「トイレ行ってくる」と宣言するか、「トイレに行くという行為をギリギリまで我慢するか」の2択。
トイレへは、メインで「お誘い」はしない。
結果一緒に行くことはあっても。
(これは今も変わらない)

トイレ行って、自分はしないから手持ち無沙汰で、手を洗ってたり、結局携帯いじったりして待つ感じも、一緒に行ったって結局誰かを待つ感じも、自分が待たせてる感じも好きになれない。
わたしが、「トイレに行く」と聞いて、「あ、今行っとこうかな」と相手が思うのはもちろんあり。


大人になっても

小さな頃から、トイレに必ず一緒に行く、あの女子特有の空気があまり好きになれず、順応できませんでした。
え、そんなところまで一緒に行くの?
わたし今別にトイレ行きたくないし。
あ、いってらっしゃい!それならわたしは本でも読んでます。
なんかそんな感じでした。
「一番仲の良い子たち」というグループはあったけど、趣味や部活、授業、やりたいことに合わせて、別のクラスも含めて一緒にいる人がその時々で違うという、遊牧民みたいなところがあったからかもしれない。

友達からしたら、私をつれなく思うだろうけど、
わたしはトイレくらい好きに行かせてくれと思うし、学校にいたって「わたしの時間」は大事にしたかった。
授業の準備も、楽しみな朝読書の続きも、ボーッとする時間も、友達にメールを返す時間も、とても大事だった。

「わたしの友達」もそれを許してくれていたのはもちろんあるけど。
誰かと一緒はおちつくくせに、こういうところで自分勝手に自由だったんだな…

だからか、大人になっても、誰かと常にべったりいるというのは苦手かもしれない。
お互いの「自由時間」を大切にしようという気持ちが前に前にと出てしまう。
わたしのではなく、お互いの、と、わたし自身は思っているけど、なかなか伝わらないジレンマはあるけれど。


ただ、近年、トイレ行かない?と大人になっても言う人がいるのだな…と思ったことがある。
わたしの「トイレ行ってきまーす!」に、対して「わたしも!」と席を立つ方がいらっしゃり…
わたしは一緒に行くつもりがないので、その方の準備ができるのを「待たない」と、とても不思議そうにされる…
不思議だ…。こちらが不思議だ。

なんで待ってくれないのーとか、
え〜 一緒に行こうと思ってたのに〜 とか、
なぜ、そんな風になるのか。
もう大人で、仕事中なわけで、一緒じゃないとトイレに行けないのか?お化けでも出ましたか?
と、意地悪く思ってしまった。
いけない…
優しくならねば。

トイレに誰かがついてくるとか、一緒に行ってくれなかったと、人に告げ口されるとか、
え、中学生ですか?あ、高校生かな?とか思ってしまったとしても、
こちらはもう大人なのだから、静かに「そう言う人もいるのだ」と切り替えていかないとですね。

心穏やかに過ごしたい。
(書いてる時点で穏やかでないけど、書いたので少しの間は忘れたい。)



皆さんの、学生時代の友だちと知り合い境界線はどこでしたか?
オトナの皆さまは、今はどうですか?




未来のわたしとの交換日記
2020年7月6日のわたし

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