田坂広志さん「なぜ、働くのか」を読んで

田坂広志さんは、ForbesJapanで毎月連載があったので読んでいた。
なんとも深い知性を感じさせるような人だなと思っていて、図書館で借りてこの本を読んでみた。
2時間あればしっかり読めるぐらいのボリュームだが、中身はとても感動するものだった、一気にファンになった。他の著作も読み漁ろうと思った。

忘備録も兼ねて、下記に気になった言葉を書いていく。

なぜ、仕事に思想が求められるのか?という投げかけに対しての10のキーワード。
「思想」→現実に流されないための錨
「成長」→決して失われることのない報酬
「目標」→成長していくための最高の方法
「顧客」→こころの姿勢を映し出す鏡
「共感」→相手の真実を感じ取る力量
「格闘」→人間力を感じ取る力量
「地位」→部下の人生に責任を持つ覚悟
「友人」→頂上での再会を約束した人々
「仲間」→仕事が残すもうひとつの作品
「未来」→後生を待ちて今日の務めを果たすとき

日々の仕事に没頭して、忙しく過ごしているうちに、視野狭窄に陥ってやいないだろうか?自分が本当にやりたかった仕事はこの仕事だっただろうか?という悩みが浮かんだ時に、流されないように「思想」が必要である。
この思想は、志や使命感、VISIONといったものと近いと思うが、この思想をどれだけ身につけられるか。

さらに「思想」を身につけただけでは足らず、「覚悟」も身につける必要がある。実社会に出てからは、現実の荒波との格闘が始める。
その荒波との格闘を通じて、己の「思想」を試し、己の「覚悟」を深めていく。

では、いかにすれば、その深い「覚悟」と「思想」を身につけられるのか。
そのためには「3つの原点」から見つめることだ。
「死生観」「世界観」「歴史観」

「死生観」とは「生死」という深みにおいて観ること
「世界観」とは「世界」という広さにおいて観ること
「歴史観」とは「歴史」という流れにおいて観ること

①死生観について
過去に優れた仕事を成し遂げてきた経営者は、深い「覚悟」と思想」を持っている。その多くは若き日に、「生死」の深みを見つめる体験をしている。
そのことを象徴する警句、経営者として大成するためには3つの体験を持っていなければならぬ「投獄」「戦争」「大病」という体験のいずれかを持っていなければならぬ。

投獄も戦前の特高警察などからの投獄を意味し、まさに生死に関わることで、戦争も大病も生死を見つめる体験である。

「働く」ということを真剣に考えたことがあるか、「生死」という深みにおいて真剣に考えたことがあるか、多くの人はないのではないか。
「生死」という深みで考えることができれば、確固たる「覚悟」や「思想」を持つことができるのではないか。

ただ、現代に生きる我々が目の前に生死を本気で実感することはなかなかない。それであれば、実際に生死の立場に立った人の書籍を読んで想像するなどで、その境地に近づく。下記の戦没者学生の手記などは凄みがある。


その極限の体験を通じて、精神の深みにある「何か」を掴み取る。そして戻ってきた人間が何かを成している。

もし生死に関わる体験があり、そこから戻ってきたならば、自分には何か大切な「使命」がある。そんな体験をしても命が与えられているのであれば、そこには深い意味がある。「何かを成せ」という天の声である。

人は、かならず死ぬ。

明日なのか、1年後なのか50年後なのかわからないが、かならず死ぬ。
そのため、我々は「死」ということについての「思想」を持たなければならない。「いかに死ぬか」ということを本気で考えなければならない。

メメント・モリ(死を想え)という言葉を胸に刻むべき。

人間の生死の限界を描いた文学を想像力の極みにおいて読むことで、「死」と対峙する。例として、「静かなノモンハン」という小説や、不治の病を体験された方の手記、「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」など。

「想像力」の極みで「死」と対峙する。
これが、我々が「死生観」を身につけるための、1つの方法。

もう1つは、「砂時計」の音に、耳を傾けること。
この砂時計は、自分の横にはあるが、目には見えずに、また残りの砂の量も分からない。そしてその砂が全部落ちたら、命は終わる。
いつ終わるか分からない砂時計が自分の横にあることを思うときに1つの言葉が浮かぶ

一期一会

誰でも知っているが、難しい。意味を理解することはできても、その言葉の意味を「体現」して生きることが難しい。

 皆さんとの、この一度の講義の、深いご縁。全身全霊で、力を尽くしました。その言葉を言える自信は、あります。だから私は、今日、最初から全力東急をしている。なぜか。それが、礼儀だからです。相手に対して、全力を尽くす。それが、みなさんに対する礼儀です。そして、それが覚悟だからです。いつ、砂が落ち切っても、悔いはない。それが私の覚悟だからです。
私にもまた、「砂時計」の砂の音が、聞こえています。

②「世界」という広さにおいて観る
「世界がもし100人の村だったら」から抜粋。
「この村は、20人が栄養が十分ではなく、1人は死にそうなほどです」
「でも15人は太りすぎです」
「全てのエネルギーの内、20人が80%を使い、80人が20%を分け合っています。」
「17人は、きれいで安全な水を飲めません」
「もしもあなたが、いやがらせや逮捕や拷問や死を恐れずに、信仰や信条、良心にしたがって、何かをし、ものが言えるなら、そうではない48人より恵まれています。」

これから言いたいことは、我々は「恵まれた人間」であるということ。

世界の広がりで言う、恵まれた人間とは、
第一に、半世紀以上も戦争のない平和な国に生まれ、
第二に、世界でも有数の経済的に豊かな国に生まれ、
第三に、最先端の科学技術を活用できる国に生まれ、
第四に、世界一の健康長寿を享受できる国に生まれ、
第五に、国民の多くが高等教育を受ける国に生まれた。

こうした境遇を与えられた人間は、地球上ではごく限られた少数である。
もしサイコロを振ってどの境遇に生まれるかを決めるのであれば、今の境遇に生まれたことがどれだけ恵まれているのか、わかる。問題は、そのことに気づくか、否かである。

皆さんも私も「恵まれた人間」です。しかし、我々が「恵まれた人間」であるならば、決して忘れてはならないことがある。「使命」です。「恵まれた人間」には「使命」がある。

使命とは、イギリスのノブレス・オブリージュと同じ言葉である。
これからの時代では、この言葉は「使命感を持って生きる人間の高貴さ」という意味の言葉になっていく。

③「歴史」という流れにおいて観る
「人類の歴史」を学ぶだけではなく、その深奥に「人間の意味」を問うことが必要。
そのためには「宇宙の歴史」を見つめる歴史観で考える。

なぜ、この宇宙は誕生したのか。
なぜ、この宇宙は、「複雑化」と「多様化」の道をあゆみ続けるのか
なぜ、この宇宙は、「生命」や「いのち」を生み出したのか
なぜ、この宇宙は、「精神」や「こころ」を生み出したのか
なぜ、この宇宙は、「人類」や「人間」を生み出したのか
なぜ、この宇宙は、「文明」や「文化」を生み出したのか

「宇宙の歴史」を見つめることなく、「人類の歴史」がどこに向かうのかを考えることはできない。そして、「人間の意味」を考えることなく、「仕事の意味」を知ることはできない。
なぜ、我々は働くのか。
この問いは「生涯の問い」です。
だからこそ、もう一度、心を込めて、皆さんに問いたい。
皆さん、何のために働いているのですか。
皆さん、かけがえのない砂時計の砂が、落ちていく。
大切な、大切な、その時間を、日々を、人生を。
何のために、その仕事に取り組んでいるのですか。
この問いを、忘れないでいただきたい。
そして、みなさんの生涯をかけて、その答えを求めていただきたい。
その「生涯の問い」から、深い「思想」が生まれてきます。
何によっても揺らぐことのない「思想」が生まれてきます。

知性とは、答えのない問いを、問い続ける力である。

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