「未来への大分岐」読書メモ

読んだのが半年以上前のものなので、メモを元に思い出しながらの自分整理用です。

資本主義での経済成長を追い求めることが、資源の掠奪の上に成り立っており、それは将来世代の犠牲や途上国の抑圧に依拠している事実を認識することが、より公正で持続可能な地球との関わり方を構想する上で不可欠。

資本主義がまず供給することや、無限の自己増殖を目指すものであり、思想とか悪気がある、とかじゃなく、そもそも経済成長の裏には、資源の略奪、将来世代の犠牲、途上国の抑圧、があるというのはしっかり認識しておきたいですね。最近は、先進国、途上国ではなく、同じ国内での格差がこの経済成長の裏側にはあると感じます。

成長や進歩という概念を捨てたくはない、重要なのは「発展」の意味を別の形で考えられるようにすること。地球のためになることや、地球に必要なことという方向性で、オルタナティブな「発展」を考えることが可能なはず。
必要なのは「反発展」や「脱成長」ではなく、「発展」のためのオルタナティブな仕組み。

環境と経済のトレードオフじゃないですね。
文化的なものへの価値が上がってきたり、その商品の背景にあるストーリーを買うというような、「役に立つ」というものではない「意味のある」というところに価値がついていますし、今後は、「地球のためになる」「未来のためになる」「将来世代のためになる」などが価値になるのでしょう。望ましいですね。

資本主義のオルタナティブを考えるために、資本主義と決別をする必要はなく、このiphoneを拒絶するのではなく、この資本主義を乗り越えるために、iphoneを武器として使うにはどうしたらいいかを考えること。

いいですね。

非物質的労働は資本主義生産のもっとも先進的な形態。

工場のラインでモノ作るのはいずれロボットだけになるのでしょうか。

社会学者、アリーホックシールドは、「管理される心」という本の中で、工場での労働よりもひどい形で、疎外され、搾取されていると議論しています。
なぜ、そんなにも過酷なのかと言えば、個々人がそれぞれに持っている感情、つまり友情を育み、人を愛するための能力が商品として販売されているからだ。飛行機の客室乗務員の感情労働。

これはいわゆる「やりがいの搾取」ってやつですね。これもまた難しい問題で、自由からの逃走じゃないですが、管理されるのが良い、その中でやりがいを感じられるなら、実際として搾取されていようが良いのでは?とも思ってしまいますが、、、

労働過程を単純化することで、労働者の自律性を奪って行った。テイラー主義「構想」と「実行」の分離。
以前は知識と技術を持つ働き手が「構想」と「実行」その両方を一緒に行っていた。まずは作業を頭の中で「構想」し、それから手を動かして「実行」する。自分たちのスキルや能力に基づいて、労働者たちは自律的にそれを行っていた。

労働者から「自分で考える」という行為を奪っていきますね、それに慣れると自分の頭で考えないことになり、完全な指示待ち人間になっちゃいます。
世の中を批判的にみてみたり、ちょっと立ち止まって考えるというのは今後AIやらでのレコメンドやサポートが進化していく中では非常に重要なポイントですね。考え続ける。

社会的な知識を機械の中に集約し、固定することで、資本はその知識をコントロールできるようになる。
思考を必要としない知的労働がどんどん増えていっている。
労働者は知的労働と似たようなことをやっていますが、ただマニュアルに従っているだけ。

そんなことしてる余裕はないはずなんですけどね。

哲学だけが、グローバルな危機の解決にむけて大きく貢献する知を生み出すことが可能。
世論の形成において、客観的な事実よりも感情や個人的な思い込みへの訴えかけの方が影響力を発揮している状況。

でしょうね、タレント議員とか、顔が良い人とか、プレゼン上手とかが政治家に多いのだとしたら、それは投票する私たちの浅慮のせいですね。

資本家個々人の道徳が欠如しているがゆえに起きていることではない、目下の利益のために行動するよう、彼らも駆り立てられている。そうしないと、他の資本家との競争に生き残ることができないから。

資本主義ってそういうことですよね。
でも、アダムスミスも「国富論」の前に「道徳感情論」があるように、道徳があって初めて資本主義での競争で、良い方向になると思うので、そこ大事ですね。

「道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である」(二宮尊徳)

これですね。大事なの。ほんとこれ。

自分たちの意思で自分のことを決めるという自由を放棄し、AIに人類の未来を任せてしまうかもしれない。
自由の重荷から逃れ、手放す方向に人々を誘っていくのが自然主義であり、それはとても危険なことである。

大きい流れはこうなっていくのだろうな、、、という気がします。
だって、小難しいこと考えなくても、いい提案くれるんでしょ?「アレクサ、今日は何すればいい?」という日も近いかな、、、

ただ、そうなると人間とはなんぞや、人間と動物の違いは?考えるとは?そもそも善く生きるとは?などの疑問が沸いてきますね。

市場への国家介入と量的緩和によって、産業資本主義という古いシステムが人為的に延命させられてしまっているとも言える。

今がまさにそんな感じですね。政治も経済最優先となっている感もありますし、民主主義が資本主義に包摂されていて、それに疑問が出ずに、進んでいくのも怖い気がするな。。。

最近みた、「次期政権に何を期待しますか?」という街頭インタビュー。
「景気を良くして欲しい!」というおじいちゃん、「消費税減税して欲しい」というおばちゃん、「経済成長を!」というサラリーマン。みんな、身なりもよく、お金持ってそうなエリート風に見えたのは穿った見方?、、

資本主義の成熟について、「潤沢な社会」への移行が始まっている、
ポスト資本主義の社会とは、潤沢な社会だと言える。

もう潤沢ですよね、じゃあ、この潤沢な社会をどうしていくのか?
モノを作っての経済成長じゃあないですよね、文化的な方にいって、そこに高い付加価値をつけていく、とか、全世界でトップランナーの課題先進国として、どういった提案をしていくのか、リーダーだけに任せずにそれぞれが考えるのが良い気がします。

国家や市場から人々の活動を切り離して、「誰にも所有されない生産物」を作り出すことが、生産の主流になれば資本主義は終わります。

シェアリングエコノミーなんかも本来はこれですよね(今は資本主義の中でのシェアリングですが)

まさに未来への大分岐の岐路にいる私たち。どういった未来にしたいのか、とか、どうしたいのかというのを考えながら、日々の消費や仕事や過ごし方を考えていきたいですね。

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