見出し画像

エコなのかエゴなのか、本当のところはわからない

パソコンの画面に昨日には見られなかったようなモヤがかかっている。

「げ、なんだこれ。まさか壊れてしまったのか!」

と思ってしばらく画面をふきふき。
消えないなぁ、どうやらこれは汚れではないんだなと思いつつも、「まぁ、もう使えないわけじゃないんだから、使えるまで使おう」とそのままパソコンをいじりいじり。

でも、画面にモヤがかかっていると気持ち悪い。どうにかしたいものである。


とかって思っていたら、さっきまでのモヤはいつの間にか消えていた
「あれ?おや?どういうことなんだろうか?」
と画面をジロジロ。

そうやっていると原因がわかった。


僕はだいたい画面には何かを開いていて何かしらを見ている。つまり、ネットやらドキュメントが常に開いた状況なのだ。
モヤがかかっている時は、珍しくたまたま何も開いていない状況だった。

バックの画面は大自然の美しい画面が写っていて、朝焼けか夕焼けかわからないけど、遠くに赤くなった空があって、海岸に面した山々が続いているなんとなぁく暗い写真。空から見下ろしたような写真になっていて「雲」がいくつか浮かんでいるのだ。荘厳な感じにも、切なく雄大な状況にも見える。

その景色に浮かぶ雲を画面のモヤだと思ったのだった。なあんだ。安心した。

安心したんだけど。なんなのよ、その勘違い。


ひとというのは小さな事でいろんな周りの事に順応したり変化したりだとか、悲しくなったり不安に襲われてしまったり、ちょっとした勇気をもらったりもするものだ。体温が1度変わるだけでも健康になったりそうでなくなってしまったりと激しく変わる。
見えるものや聞こえるもの、一緒に住んでいるひと、同じ食事を食べているひと、同じ本や映画が好きだったりゲームや音楽が好きだったり、と。ちょっとしたことで近づいたり遠のいてしまったり、様々なことが身に起こる。
改めて、人間みんなかなりナイーブなんだと自覚した方がいいと思う。


最近自分の周りの変化と言えば、ビニール袋が有料になったというところかな。
この変化って実は大きいなぁと考えていて、あれだけ「エコエコ」と言っていてほとんどなんの変化も無くたまぁにエコバックを好んで使っていたり、お店の買い出しにと手提げバッグを使っているひとを見かけたんだが、ビニール袋を“もらわない”ってひとはそこまで増えはしなかった。

だけどどうだろう?「有料化します」と声をかけだすと、「みんなパタリとやめだす」のだな。これにはびっくり。
やっぱりみんな「地球の環境のことなんて全然これっぽっちも考えていないのではないか?」というのが僕の考えるところだ。

「有料化にします」という言葉を使う方が「あなたはエコバックを買って使わないと地球のために、エコ活動のためにならないですよ!」と呼びかけることよりも絶大の効果があるのだ。とんでもねーな!


人間ってどこまで汚く、自分のことしか考えていないのかと思ってしまった。


もうこうなったら、ビニール袋なんて廃止しちゃえばいいんじゃないか?と思ったりもするんだけど、世の中はそんなにうまいこと回らない。みんながエコバッグにできるかと思えばそんなことはないのである。
僕なんか、毎回毎回有料でもいいから、ビニール袋をもらった方がごみが捨てやすくて良いと思うんだわ。じゃあ違う袋を買えって?

確かにそうなんだけどさ、めんどくさいじゃない。わざわざビニール袋を買うのもさ。
そうやって不便さを覚えた何人かの人間がまた、別にビニールを買って、環境を汚しているんだとかなんとかって問題が発生するのかもね。


そう。


その「めんどくさい」のひとことで、地球はどんどんと汚れていってしまっているのである。

めんどくさくない方法か、自分で袋を買うことがお得だと思わせたら良いんじゃないかな?なんて考えたけど、やはり世の中そんなにも簡単ではない。


エコなのかエゴなのか、はたまたエロが効果的なのか…本当のところはわかりませんね。


自分に効果的を知る、これからの僕は。

気軽に読んでいただきたいので、ひとつひとつの記事に値段は付ていません。靴磨きや仕事のお手伝いなどを投げ銭でやってみると、様々な方が僕の仕事にいろいろな価値をつけて下さってすごく助かります。僕の記事にもあなたの価値をつけていただけると嬉しいです。