好きなものには癒されるけどさ…
犬とか猫って人間に頼っているところが絶対にありますよね。
甘えてくるなんてこともあります。
依存でしょうか?
ある意味においては依存しているのかもしれませんね。
だけど僕らはそれを嫌がったりしません。むしろ心地良いとすら思っています。
あんなふわふわな奴らに好かれて、嫌な思いをするって方がちょっとよくわかりません。
人間は言葉を話しますし、なんならかわいいひとだってもちろんいます。
楽しくておもしろいひとだってたくさんいるんですが、さすがに毎日毎日会っていたりすると嫌になったり、飽きてしまうなんてことがありますね。
それって何なのでしょうか?
言葉が話せて、いろんな意思疎通ができるのであるなら、ほっとしたり癒されたりするんじゃないのでしょうか?
なぜなぜ、と考えていたって一向に前へ進まないのであれば、逆を考えてみるとすすむことがあります。
もしかすると、意思疎通がはかれなくってのほほんとしているから、放っておいても自分だけで楽しそうにしているから、安心できてその姿に癒されているのかもしれませんよね。
いや、もしかすると本当にそうなのかもしれません。
じゃあたとえば、動物が一切好きではないひとは、いったい何に癒されるんでしょうか?おもしろくて良いなぁと思うんでしょうか?
もしかすると例えるなら“ひとり旅”とか、かもしれません。
誰も自分のことなんて知らないところで、もしくは言葉が通じない場所で、何かしらの町の様子や人間らしさに、ひとのちょっとした親切なところにホッとしているのかもしれないです。
言葉が通じるとちょっと安心して仲良くなりますが、「ちょっとも言葉が通じない」というところに、何かしらの癒し要素があるんじゃないかと思いました。
自分のことを知らないひとが周りにいて、知らない町に囲まれていて、まるでなんだか買われてきた犬みたいな。
そこで近寄ってくる差し伸べられる親切に「ありがてえ!」と、すがる。
んーーーーーー。
自分のことを求められるってことなんでしょうかね。
ひとや動物によって来られるとなんだかホッとするんでしょうか?
謎です。
謎に満ちています。
その辺はわかりませんが、今は寒くって、沖縄に行きたい気持ちが強いです。もう何が何だかよくわからねぇ。
犬について考える、これからの僕は。
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