TakramCast「Design Engineeringとは #1」

Takramの中軸を成すDesign Engineeringという領域。Takramの田川はどのような経緯でDesign Engineeringを志したのか、学生の頃のエピソードを皮切りにDesign Engineeringの内容に迫ります。(聞き手:Takram佐々木)

佐々木 まず僕はデザインエンジニアリングという言葉をTakramに入るまでほぼ聞いたことがなかったんだけど、その言葉ってどういうふうにして生まれてきたか。あとそもそも誰が言い出したのか。それが田川さんのなかでどういう意味を持ち始めたのか。この辺をちょっと最初に聞いていいですか?

田川 「誰が言い始めたのか」っていうところでいくと、たぶん1980年代ぐらいに世界のいろんなところでいろんな形で言われ始めたのかな。1つ俺のなかでははっきりしている事実の方から言うと、1980年にロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートの学校の大学院のなかにマスターコースとして Industrial Design Engineeringっていうコースがスタートして、それが1980年なのね。なのでそういう意味だと35年前にそういうコースを立ち上げた人がいて、当時は随分シンプルな発想で。エンジニアリングの学位を持った学生たちにデザインの教育をして、デザインができるようにしてしまおうっていうごく単純な発想からスタートしてたみたいね。トライアルを何回かしながらそこで出てくる学生とか、作品とかも面白いからきちんと正規にコースになって、いまに至る。

当時の先生たちがつくったダイアグラムとか見てると、本当にすごいシンプルでベルトコンベアの絵が描いてあって、そこにロの字のゲートが描いてあって、エンジニアがそのゲートを通るとデザイナーっていうふうになって出てく。そのゲートにIDEっていうインダストリアルデザインエンジニアリングっていうのは書いてあるのね。そういうふうにつくり変えるっていうか。そんな感じで導入されてたみたいね。

佐々木 「デザインエンジニアリング」という言葉だけどももともとはデザイナーじゃなくて、エンジニアにデザインを教えるっていう?

田川 ベクトルとしてはそう。エンジニアリングができる人にデザインを教えるっていう方向だね。

佐々木 じゃあ、教育としてはデザインを教えるっていう教育なんですね?

田川 そう、そうだね。多分きっちり定義されたのはそこなんだろうね。

佐々木 欣哉さんはその学校に何年から行かれたんでしたっけ?

田川 俺が行ってたのは1999年から2001年の2年間で。その前は工学部のエンジニアリングの学生で学士の課程にいた。俺は専攻が機械工学科っていうところだった。正確に言うと機械情報工学科っていうロボットとか情報機器といわゆる機械と融合したようなことを設計する、そういう手法を学ぶ学科にいたんだけれども、とある企業に夏休みにインターンして潜り込ませてもらった。

俺はあんまりそんなにいろんな情報を摂取するタイプの人間でもなかったので、学生時代はデザイナーっていう人の存在はあんまりよく知らなかったのね。工学系の学科だったし、建築が一番デザインに近そうだったけど、それでも工学部の一部だっていうふうに思ってたから、そういう意味だとデザインとか、デザイナーとかっていう単語ぐらいは知ってたとしてもそれが自分の生活のなかに入ってくるような言葉だと全然思ってなくて。そんな状況の学生だったときにあるメーカーにモノづくりすごいその当時から大好きだったから、何かしらモノをつくる現場で自分の仕事を、就職したいなっていうことがあって、メーカーに潜り込ませてもらいました。

そのときに初めて現場で実際に働いているエンジニアじゃない人たちっていうのも結構目撃して、俺はかなりそこで衝撃を受けた。
具体的にいくとエンジニア以外でプランナーっていう人たちとデザイナーっていう人たちの存在を目の当たりにするわけね。いまだと仕事しててそんな人いるの当たり前じゃないかっていうふうな感じなんだけど、当時の自分は商品企画から機構設計とか回路設計とかして、そのパッケージングや、プロダクトとしての美しさとか、そういったところも含めて完全に0から100まで全部エンジニアがやってると思ってたの。ただそのメーカーとかの現実を見てみると、商品戦略とか製品企画とかっていう上流の話は結構プランナーがやっていて、プランナーって結構文系の出身だったりしてさ。そのプランニングが一旦プロダクトデザイナーたちの手に渡って「こんな形かな」とか、「こんな使い勝手かな」とかがスケッチとか、モデルで出てきて、エンジニアがそれに対して実装をしてくみたいなね。そういう順番にちょっと見えたところもあって。

そうすると自分のなかではその三職種の人たちがやってることっていうのは1人でできるはずだったのに「あれ、なぜかその3分の1しかやらせてもらえないのかな」とかって思って、そこでめちゃくちゃショックだったのね。
なんでショックだったかって言うと、そんなことをやってる専門職がいるっていうのを初めて見たし、それがしかも自分のいわゆる大学から就職っていうパスの上にないわけ。だから、そのままいくと自分じゃない誰か他の人たちの仕事として準備されているっていうことがものすごい衝撃だったし、このままだとまずいなとも思って。

佐々木 このままだとまずいなっていうのはなんでなんですか? すごく素直に考えると学生のときにインターンに行ってそういう事実を知ると「あ、世の中ってこうなってるのね。ふむふむ」っていうふうに受け入れる人がたぶん100人中99人だったと思うんだけど、そこで欣哉さんは衝撃を受けて「あれ、まずいぞ」って思ったのは?

田川 自分のなかでは、いわゆる商品のプランニングをすることとか、デザインをすることっていうのはモノをつくることのものすごく大事なところだと思っていたから、それが自分のポケットから取られちゃったみたいな(笑)まずいなと(笑)。しかも、俺は不勉強だったから、普通に大学に行ってメーカーに就職すればその3つができると約束されてるって思っていて。

佐々木 思い込んでいた?

田川 思い込んでいて、それがガシャーンって崩れたわけ(笑)。で、まずいなと思ったのは逆に言うとまだ就職までには少し猶予期間もあったから1年ぐらい。何かしなきゃいけないっていうふうにたぶん思ったんだろうね。何もせずにこのまま就職すると自分がその思い描いていたようには仕事ができないってことがくっきりその数か月で明らかになっちゃったから。

佐々木 インターンでね。

田川 ただ同時に、俺は周辺にいた先生たちもエンジニアリングの先生だし、学生たちもエンジニアリングの人たちだったから、技術に関してはいろんなディープな会話もあったんだけど、とくにデザインね。デザインについてはそんな深みのある内容っていうのが自分のその日々の生活で触れる機会っていうのはないんだけどその企業のなかでデザイナーたちが発揮している能力とか、パフォーマンスについては素直にすごいなって思ったわけよね。こんな世界があるんだって。どうもこういうことをやる専門職っていうのがデザイナーっていうのがあるらしいっていうところは逆にそれはそれで素直にすごいなって思うところもあって。

それでインターンが終わるときにその事業部のシニアのマネージャー、ヒューマンリソースのマネージャーと面談があるわけだけど、そこで「どう?」とかって言って「就職したいと思った?」みたいな話になるわけ。すごい仕事自体は面白かったのね。「いや、すごい面白くてもう本当にこの会社に就職できるとすごい嬉しいと思います」みたいなね。で「今回インターンしてみてわかったんですけど「エンジニア」という人と「デザイナー」という人がいて、その両方の人たちがやってることをどっちもすごいっていうふうに思うから、自分は振り返ってみるとその両方をやりたいっていうふうにたぶんずっと思ってきたから、是非この現場でその2つのことがやりたいし、日本のなかでそれができる企業を探せって言われるともうここしかないと思うんです」みたいなことをすごいフレッシュな感じで言ったわけ(笑)。そのマネージャーに(笑)。

そしたらそのマネージャーの顔が俺いまでもずっごいくっきり覚えてるんだけど、ビジュアルで。俺が話せば話すほどどんどん相手の顔が逆に曇ってくわけ。なんか怪訝な顔してるなー、と思ってたんだけど、一番最後俺が喋り終わったあとにその人が「あのさー」とか言って「今回よくわかったと思うけど、ここのエンジニアリングの部署は世界最強のエンジニアたちだし、もう一方でここのデザインの人たちは世界最強のクリエイティブチームなわけ。その人たちが一緒に働いて世界最強のプロダクトをつくっているんだよ。でさ、お前みたいなんがさ、両方やるとかって言っても無理だよね」っていう感じで言われて、極め付けに最後言われたのが「だからもう悪いことは言わないからもうエンジニアになんなさい」って言われたのね。そのときにやっぱ自分のなかでずっと思ってたいわゆる「デザインとかエンジニアリングも一緒にやりたい」、そのときはもう完全に2つが別だってわかってたんだけど、その2つのことを一緒にやるっていうことが一般通念上企業とかだと許容されてないっていう。イコール、自分が思ってた「こんなふうに働きたい」って思ってた夢自体が社会っていうものからガシャーンってシャッター閉められた感じがして、そこですっごくショックだったんだよね。

おじさんの方は本当に素直にそう思ったんだと思うんだけど、若かりし20歳前後の自分にとってはすごい重い話だったから、そこから半年ぐらい考え込んじゃって。シニアのおじさんが言うってことはたぶん本当に世の中そういうことだろうなって。だからたぶんエンジニアになんなきゃいけないんだろうなっていうふうに、ある晩考えたとするじゃん。けど次の日の夜になると「いやあ、けどやっぱりあの部分を自分でデザインの部分をやれないっていうことに耐えられないかもしれないな」って。けど「じゃあデザイナーになるの?」って言われると全くそれはリアリティなくて。それで行ったり来たりすっごく考えて半年経ったあとに結局答えが出せなかったのね。

それで、「こんだけ考えても答えが出ないってことはやっぱりいま決めちゃ駄目なのかもしれないな」と思って、ある日ふと「もうこれは選ばないっていう選択をしよう」っていうふうに思って。そのときにただ周りの人とかに説明しなきゃいけないから、一応20代が終わるまではデザインとエンジニアリングを両方やってみるってことをチャレンジしてみて、29歳の最後の日になったときに全く箸にも棒にも掛かんなかったら、もうスパッと諦めて「ごめんなさい。もうエンジニアになります」って言って、その年齢で就職できるエンジニアリングの会社に普通に就職しようって思って。

だから10年ぐらい自分のなかに猶予期間を取るっていうのを決めたのが大学の3年の終わりぐらいのときだね。相当悩んだよね。あのときは。結構重苦しい感じでね。そこからちょうど大学で同じぐらいの時期に山中俊治さん(注1)、俺の師匠が大学にスケッチを1年間のなかで何日か教えに来ていて、明らかに風貌が他の先生と違うわけよ。マオカラーのシャツとか着ててさ。なんか「私はデザイナーです」とか言ってて、それで明らかに徹夜明けの顔とかで授業来るわけ。あの人自分のことデザイナーとか言ってるし、一応同じ大学出てデザイナーなったとか言ってるし、ちょっと話聞きに行ってみようかなと思って、勇気を振り絞ってあるスケッチの授業の終わったあとにつかつか教壇のところまで行って「先生ってデザインのお仕事されてるんですよね?」とか言って「ちょっと遊びに行かせてもらっていいですか?」って言って、そこで電話番号教えてもらったの。それがきっかけなんだよね。それでそのあとすぐにどっかの公衆電話から、緑の電話からさ。まだその当時。

(注1)山中俊治は日本の有名なインダストリアルデザイナー。現在東京大学生産技術研究所教授。

佐々木 10円玉入れて(笑)。

田川 10円玉入れて(笑)電話して「先生、あの覚えてますか?」みたいな(笑)。それで「実際に行っていいですか?」って言ったら、なんか山中さんが「ああ。なんかさ、君の才能を示すもの持ってきて」とか言われて「才能示すものなんか無い!」とかって思いながらなんか撮り溜めた写真とかいろいろ持って行って。山中さんの当時広尾にあったんだけど、広尾のオフィスに遊びに行ったっていうのがそのプロのデザイナーの仕事と濃密に触れ合う最初のきっかけで。そこから山中さんのところで結構バイトして。1年ぐらいバイトしたのかな。そのなかでクレーン車の木槨つくったりとか、山中さんがその当時描いてた技術系の内容解説する絵本のなかに挿絵で入ってくるその解説の図解とか、イラストレーターで描いたりとか、そんな仕事をさせてもらってどんどんデザインのことは面白くなっていったんだよね。

佐々木 どうでした? その1年間って欣哉さんのなかでかなりいまでエンジニアリングやられてて、インターンもして、そのデザイナーの事務所で働くって全然違う体験だと思うんですけど、どういう衝撃だったんですか?

田川 ただ山中さんのところにいた人たちって、皆工学部出身の人たちだったから結構理系脳だったんだよね。だからあんまりそういう意味だと「うわあ、異世界だ」っていう感じは逆に言うとなくて。

佐々木 じゃあ、もう共通言語あったわけですね。

田川 そう。構造の話とかさ。使い勝手って言っても、結構工学的な目線からの話もあったし、そのなかに「美しい」とか、デザイン的な話も入ってはくるんだけど、半分ぐらいはやっぱりなんかこう同じような言葉だったりとかもして。自分にとっては自分からするとエンジニアがこれやってるんだろうなっていうことがそこの現場で起こってたりもしてたから、なんかそういう意味では山中さんのところでは衝撃というよりは日々たくさんいろんなことを勉強できてすごい楽しいみたいな、そんな感じだったかな。

佐々木 じゃあ、そのある会社のインターン先では企画とデザインとエンジニアが別だったけど、そこの山中さんの小さい事務所ではそれが同時に、

田川 ごっちゃになってたっていう感じだよね。そのはっきりとした区切りみたいなのがなかった。山中さんの事務所もそのとき人数は少なかったから役割分担みたいなものがそもそもプロジェクトのなかではほとんど存在しなかった。そういう意味ではなんでも皆でやってるっていう感じだったよね。それやってるうちに、もうちょっと突っ込んで基本をちゃんと勉強した方がいいなと思って、山中さんとかといろいろ話してて、もう1回じゃあ、学校マスター(修士)で行ってみようかな、とかっていうことが自分のなかで出てきて。それで世界のなかでいろいろ探していたら、工学部を出てデザイン、マスターが取れる学校ってほとんどなくて、当時は。世界いろいろ調べたんだけど2つぐらいしかなくて、その1個がロイヤルカレッジのさっきのインダストリアルデザインエンジニアリングっていうコースだったのね。もう1個はアメリカの学校で、2つとも見に行ったんだけど、もう1個の方はどっちかと言うと工学部のなかにデザインコースがある学校で、RCAの方はアートスクールのなかにエンジニアリングがいるっていう感じだったから、RCAの方がより異世界。これはちょっと自分の知らない雰囲気だなっていう、見学に行ってそう思ったところがあって、それでRCAを選んだんだけどね。

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