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移動・交通の変化に期待すること

関西の緊急事態宣言解除が発表され、少しは状況が前に進むかという期待感が出てきたのは嬉しいことです。もちろん、第2波のリスクは隣り合わせですので、「新しい生活様式」を実践しながら、ウイルスに感染しない暮らしを送っていくことが肝要と思います。

余談ですが、「新しい生活様式」というより、感染リスクを理解しながら、自らの安全に最大限注意を払いつつ、他者への感染も防ごうとする配慮ある行動様式が定着した、その背後にある「共感」の価値観を大事にしたいと思いました。

今回は、移動・交通について、です。少し期待も混じった書き方になっているかもしれません。

MaaS元年と言われていたが

コロナ前ではMaaS(Mobility as a Service)がやたら流行っていた印象があります。自動運転技術などは夢のあるテクノロジーだと思うのですが、スマートシティ≒モビリティ・MaaSという感じ、日本にありがちな技術偏重型なフォーマットに何か変だなぁという違和感を覚えていました。

そこにきて、コロナショックです。移動が制限され、パーソナルな空間が安全性から重視され、高密な空間・賑わいや集まることも避けられるようになりました。

航空機や鉄道・バスの乗降客数は軒並み減少。マス交通の需要減はもはや避けられないでしょう。航空機・鉄道がどうしていくべきなのか。移動が可能になる状況を作り需要回復を待つしか抜本的な方策はなさそうに思いますが、時間がかかるので非常に難しい問題です。ここの方向性を論じる見解は今のところ持ち合わせていません。

地域交通は変革の時?

地域の足を支えたタクシーや路線バスなども、需要はかなり落ち込んでいくのではないでしょうか。特に路線バスは大半の路線が市町村の補助で成り立っているので、トップの写真にあるようなまちの交通手段が、果たして維持できるのか。もともと通勤人口の減少などで需要も減っていたのに、コロナショックがとどめの一撃を刺してしまうように思います。

※一般社団法人日本モビリティ・マネジメント会議の方で、コロナ禍による公共交通への対策などを提言されています。ご参考に。

コロナの緊急対策の反動で、自治体の税収はさらに厳しくなると予想されますし、先に述べたような新しい生活様式の下で、地域交通はもはや支えられなくなる自治体は一気に増えると思われます。

しかし、今の交通のシステムがそもそも「大量輸送・効率化」という従来の発想を前提にしたものであるので、そこから変える術を模索していかねば、もはや存続はし得ないのかも、と思っています。ゲームのルールがもはや大転換してしまったと捉えるべきでしょう。いっそのこと近いうちに(従来の形は)なくなる前提で話を進めて行ったほうが、建設的かもしれません。

移動を楽しくするもの

過日、とある都市のグリーンスローモビリティのお話を聞く機会があったのですが(グリーンスローモビリティは下記リンク参照)、それを導入する実験をしたことで何が良かったかというと「運転手や乗り手の笑顔」ということでした。低速であるがゆえに、会話をするようになり、それが弾んで、いきいきとした笑顔が見られるようになったのが、一番大きな効果だという話でした。

交通・モビリティは、同じ時間・空間を共有し、会話などを楽しめる移動手段と捉えれば、可能性はまだまだあるよな、と感じた次第です。

感染リスク・密な環境を避けながら、会話、あるいはそれ以外の共通体験(知り合いができる仕掛けがあるとか、景色や映像を見て楽しむとか、お得な情報が得られるとか、他にも色々ありそう)が得られれば、かえって、コロナ後に根付くのではないか、という気もしました。

また、人・ものを運ぶ、というのが移動手段の既存の概念でしたが、サービスもこれから移動するだろうと思います。コロナ禍でも自宅で外食が楽しめる移動販売サービスも出てきていましたが、移動〇〇はもっともっと増えると思っています。すでにあると思いますが、移動できるリモートオフィス、移動できる地域公民館とか、家以外の価値ある空間を実現するモビリティ。それに対応する車両も斬新なものが現れて欲しいですね。

移動とは場所を変えたりという可変性があるということ。固定した環境に囚われない自由なライフスタイルを、移動やモビリティが実現する未来は、そんなに悪くないかなと考えています。

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