Kintsugi物語

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「君は何になりたいんだい?」

「う~んとね~。」

「いや、質問を変えよう。君は死ぬ時に何と呼ばれていたい?」

「死ぬ時?そんなの分からないよ。だって僕はまだ9才だよ?」

「9歳?それはいいね!年齢が一桁である時はそう長くない。だがね、いつその時が来るのかは誰にも分からない。ガン爺さんも言っていたろ?明日、死ぬように生きて、永遠に生きるかのように学びなさいと。月は形が変わると名前も変わるのを知っているかい?」

「知ってるよ!満月とか三日月とか新月とか下弦の月とか十六夜とか更待月とか立待...」

「随分と詳しいんだね...」

「僕は月から来たからね。」

「そうか。実はそうじゃないかと思っていたんだ。

さて、その月の名前というのは月が沈む時の形で決まっているんだ。東京のメン婆さんがいい例だね。例えそれまでに華々しい功績があったとしても、最後があれじゃ意味がない。台無しだ。最後の姿こそが肝心なんだ。」

「なるほど、それで死ぬ時に何と呼ばれていたいかと聞いたんだね!」

「そう、いつくるか分からないその時の為に、目を覚まして備えておかないといけない。君はどうだろう?最期のその瞬間、何者でありたいかな?」

こんな、誰とも分からないご老人との会話を今でも鮮明に覚えている。
私ももう26になったが、一体何者になりたいのかなど未だに分からない。
ただ、目の前の事で手いっぱいである。
それも、なぜあの時こう出来なかったんだ。もっと他の道があったあはずだ。と後悔の日々である。
過去と未来を繋げるのが現在であるようだが、未来などどこにあるのだろうか。
そんな不確かなものに過去も現在も投資しているのであろうか。
ご飯が食べれて、十分に寝れて、日中には体を動かせる。
これだけで幸せではなかろうか。
足るを知れば、誰もが幸せになれるのではなかろうか。
向上心とは厄介である。
向上心を持たねば、怠け者と評されてしまう。
しかし、人間本位の、ひとりよがりの向上心が一体どれほどの損失を生み出してきたか。
野生の動物からしてみれば、これまで大いに森林を伐採し、仲間の命を奪ってきた者が急に地球に優しくなどと言っているのだから、情緒不安定な生物だと思っているかもしれない。
要は、エゴイストなのだ。
特に現代は個人主義。
人類史全体でみれば一瞬だけの出来事だろうが、この先に来る育児に重きを置く時代も同様に一瞬であろう。
そこで心得ていてほしいのは、私たちは世界を変えることは出来ないという事だ。
世界が私たちを変えるのだ。

愛を与えられるのは極めて嬉しい出来事ではあるが、私にはその愛を受け止める器がない。
溢れる愛で溺れてしまう。
苦しいのだ。辛いのだ。死んでしまうのだ。
水もお金も生きていくためには必要だが、多すぎれば災いとなる。
愛もまた、それと同じように感じることが出来る。
ほんの小さな灯でいることが人を長く愛する秘訣であろう。
全能の神のように人を包みたくとも、それは人間に出来る芸当ではない。
神になろうとしても、身分不相応。コントロールを失くし、悪魔に近づくばかりである。
人間らしく、人間のように、人間として生きるのが最良なのだ。

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