
多摩美の講義で、デザインのアンテナ感度が高まった話
経緯は忘れたが、多摩美がデザインに関する講義の動画を、YouTubeでオープンにしている。私は、学生時代にデザイナーを志していた時期もあったので、興味津々で視聴している。大変ありがたい。
まだいくつかの講義しか観ていないが、現時点で日々の思考・着想を進める上で大きな糧となっている。
今回は、その中から1つだけ、学びをシェアする。
(あくまで素人考えであることを、ご了承いただきたい。)
デザインがなぜ必要か?
「デザインがなぜ必要か?」という大きな問いについて、「この講義をどう咀嚼しているか整理する」という意図で、遠回しに答えていく。
まず、「イス」という人間が座るためのモノについて考える。
極論すれば、デザインの概念が喪失した世界は、「これはイスなので、座るためのものです」みたいな記号的なやりとりの世界観だと思う。
何らかの権威や、イスを製造・販売する人々が「これはイスだ」と言えばイス(人が座るためのもの)だし、それ以外はイスではない。
しかし現実では、このようにモノと概念(機能)がピッタリと1対1で結びつけられて、機能しているわけではない。
人々は駐車場のブロックや、切り株、地べたなど、座れる場所があり、座りたい欲求が「座ってよいだろうか?」という懸念に勝りさえすれば、どこだろうと座る。
この思考については、以下の書籍が寄与している。

ジベタリアンは自然と、「まさにそうせざるを得ない」から座る(これはおそらく意図せぬ結果なので、厳密にはデザインではないだろうが)。
ここから、以下のようなデザインの定義が思い浮かぶ。
デザインとは、感情・欲求・理性を抱える人間や人間社会が、「目の前で起こる現象に対し、何を感じ、どう反応するか」を仮説立て、検証し、設計するプロセスである。
つまり、どういうことか?
ぱっと見、「靴はお脱ぎください」のサインより、脱いである靴に目がいく。こういうのがデザインなんじゃないか、とのこと。
— きのぴー|コーチング・アート (@kinopi_inclue) March 5, 2022
(これは展示で、中に入ってみると、この靴の持ち主はいなくて驚いたらしい) pic.twitter.com/daMMhNYQ8R
この作品は、実社会でも機能しそうなデザインなので、思わず唸った。
伝えたいこと、呼びかけたいことをストレートに表現するのではなく、誰もが「ついこうしてしまう」ような表現をするのが、デザインなんだと思う。
デザインはなぜ必要か?
それは、自分(たち)の願いや目的を、なめらかに叶えていくためである。
余談
ちなみにトップ画像には、ちゃんとした意図がある。
この橋には、いろんな機能がある。当然ながら、橋の一番の機能は「人が渡る」だろう。しかし他にも、「下にいる人たちに日陰をつくり、体力消費を抑える」「日向と日陰のコントラストが美しく、写真映えする」といった機能もある。
機能は、機能を考える人によって決定されるので、あなたの視点ではまた別の機能が思いつくかもしれない。